2012年10月6日土曜日

「 高校のおともだち 」


わたし、高校時代
気の合う友達が一人もいなくてだいぶ悩んだんです。


でも、自分がいけなかったんです。
なんの目標も持たないで、
努力もしないで入ってしまった高校だったので、
なんというか、人任せな自分がいたんです。

いまだったら、どんな環境でも
楽しいことを見つけられる自信があるのですが、
その頃はとてもカチコチ頭の融通がきかないやつでした。



辛い高校時代だったので、
ずっと思い出すのをやめていたら
思い出す思い出もなくなってしまいました。


でも、最近になって、
高校時代のことを口にしても、思い出しても
抵抗がなくなりました。


クラスメイトに大きらいなヤツがいたんですよね。
その子、ある日の前日に自分で髪を染めたらしく
耳まで染めて登校してきたんですよ。
耳、青くなってました。

もう一人、クラスメイトのキライなヤツは
残り少なくなったマスカラに
「水入れたら、まだ使えるんじゃねー?」
と言って水道で水を入れて来て、
「ほら、復活したよ」とキャっキャっ言ってました。

私の後ろに座っていた男の子は、
私の隣に座っていた女の子と付き合っていて、
授業中に2人はケンカして、
彼、机を蹴っ飛ばして教室から出て行きました。

その時の地理の先生は、
一瞬止まったものの、何も言わずに授業を進めてました。

化学の先生は、どこかの寺の息子だったんですけど、
わいせつな事をして捕まって、新聞に載っちゃってました。


倫理の先生は授業中に、
「おれは薬(麻薬)をやったことがある」
と自慢していました。



同じ学年に、どう見ても10歳くらい年上だよな
って感じの学生がいました。
結局進級できなかったみたいで、途中で中退してましたけど、
彼、何年留年してたんだろ…


そして、トイレがいつも煙草くさかったです。






高校が大キライだったのですが、
いつも一番に登校して、誰もいない教室にいるのは好きでした。

登校するとき、美術の先生がよく、
やさしく声をかけてくれました。
みんなからてっちゃんって呼ばれてた、ひげのおじいちゃん。



気の合う友達と放課後にファミレスとかでたまるのが夢でしたが、
その夢は、高校時代には叶いませんでした。

体育祭の前日、どうしても予行練習に出たくなくて
仮病をつかって早退しました。

卒業式の日、誰よりも一番に学校を出て、
チャリで海を目指して走りました。
結局海まではたどり着けなかったけど、
車通りの多い道沿いをずっと走っていたので
家に着いた時、排気ガスで鼻の穴がまっくろになっていました。




わたしにとって高校時代は悲しい思い出しかないと
封印していたのですが、
今の自分にいたるには、大事な時間だったように思います。

社会人になって、
ある日引き出しの整理をしていたら、
高校の時の担任の先生の住所が出て来ました。

わりとお世話になった先生だったので、
お手紙を書いてみたら、電話をくれたんです。


 先生 「ひさしぶりだねー」

 わたし「覚えてました?」

 先生 「覚えてるよー、山の絵が全然かわってないねー」


高校の頃から、
イラストが変わってないって言われました。
絵を覚えててくれたことがうれしかったです。


あと、わたし高校の時すごい暗かったですよね?
って言ったら、「え?そうだっけ、明るかったよ」って言ってくれました。



それがほんとでも嘘でも、
うれしかったんです。




まさか、あんなにイヤだった高校時代から
こんなにたくさんの楽しいことを思い出せるなんて
こんな日が来るなんて思ってもみませんでした。



そして、高校ではなかよくなれなかったおともだちを
今の自分は大切に身体の中の引き出しにしまえるようになりました。




高校のころ悩んでいた悩み事には
答えがないのだと思っていたけど、
今わかった気がします。


答えのないものなんてありません。
自分が求め続ければ、何かしらの答えは出る。

答えにたどり着くまでの、たくさんのきっかけに感謝します。

ここまで来れたのも、
自分を大きくしてくれた、たくさんのやさしい方達の出会いのおかげです。


ほんとうに、ほんとうに
たくさんの出会いに、心から感謝しています。





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