2014年12月28日日曜日

「 おふくろの味 」


私「このきんぴら何で味付けしたの?」

母「めんつゆ」



私「この酢鳥、味付け何?」

母「お酢とめんつゆ」



私「おでんの汁って何で味付けしてる?」

母「めんつゆ」





母「あたし、みーんなめんつゆ」



*  *  *  *  *

2014年12月27日土曜日

「 トイレの夢 」



最近睡眠時のトイレが近くて
トイレの夢ばかり見ている

トイレがなかなか見つからない夢
トイレにたどり着くまでに障害物がたくさんある夢
トイレにスリッパがなくてあきらめる夢
トイレがあまりにも汚くて出来ない夢
周りにいる人に丸見えのトイレの夢
あきらかに形のおかしいトイレの夢


どうして、トイレをガマンしている時の夢は
あんなにイジワルなんだろう


これらの夢は、どうがんばっても
トイレにありつけない
よくもまぁこんなに意地悪な夢を
創造してくれたもんだと思う


でも、
もしもすぐに
トイレにたどり着いてしまったら…
もう大人なので、お漏らしは…


脳ミソさん
今夜も意地悪なトイレの夢
よろしくお願いします


* * * * *

2014年12月25日木曜日

「 小さいボウル 」


料理で使うボウルは
中身の量より大きめの物を
使った方が混ぜやすい

それを教えてくれたのは
焼き鳥屋でアルバイトをしていた時の店長だった



きのう餃子を作っていたら
どうもたねが混ぜにくく
ボウルが中身より小さかった

大きいボウルで混ぜれば
混ぜやすいのは分かっているのに
どうしてかな、直らない



ちょうど二年前の今頃
焼き鳥屋のアルバイトを突然辞めた
頭にくることがあって店を飛び出し
次の日辞めますと一言だけいって辞めた


きっと
大きいボウルを使えなかった私にも
原因がいっぱいあったのだと思う

ごめんなさい




* * * * *

2014年12月17日水曜日

「 蒟 蒻 」


田楽味噌を作った
美味しく出来たので
作り方をノートに書き留めていた


コンニャクってどんな漢字だったっけ

携帯で調べて漢字で書いた



そしたら

蒟蒻って漢字を人生で初めて
書いた気がして


新鮮な気持ちになって
大事に大事に蒟蒻って書いた



* * * * *

2014年12月15日月曜日

「 温 度 差 」



自分がいくら熱くなり語っても
全く相手に伝わらない時がある


逆に、相手が熱くなっていることは
伝わってくるんだけど
全く自分は冷めている時もある




私はその会話を後々
俯瞰して眺めてみることがある

物体のない会話に対して
温度差という言葉を使うことがピッタリで面白くて
内容うんぬんよりその温度差を面白がっている



冷静と情熱の間を
熱い眼差しで私は眺める

近頃これが私のマイブーム


* * * * *

2014年12月13日土曜日

「 ポップな味 」


友人とトマト味のラーメンを食べている時だった

「なんてゆーか、ポップな味がするよね」


友人のこの言葉を聞いた時の私の正直な気持ちは
ポップな味ってなんだよ
味にポップって表現ってどうなんだよ
と思っていた



いまいちポップな味というものが
ピンと想像できないでいた



先日、セブンイレブンで納豆を買った
セブンブランドで値段が安かったので
あんまり美味しくないんじゃないかな
と思って食べた



この納豆、ポップな味がする


私の中で何かが弾けた
ポップな味って
こういうことか




* * * * *



2014年12月8日月曜日

「 来年の目標 」


もう12月

この時期はいつも
今年の反省をして来年の目標を考える


反省はまだできていないけど
ふと目標が決まった

来年は「調子に乗らない」を目標にしようと思う



子供の頃から私は
嬉しいことや楽しいことがあると
調子に乗ってしまい叱られた

調子に乗ってふざけすぎて怒られたり
調子に乗りすぎて気持ち悪くなって怒られたり

大人になってからもそうだった
調子に乗ってバイトを入れ過ぎて貧血で倒れたり
調子に乗って飲み過ぎてぐでんぐでんになったり
とにかく周りの人に迷惑ばかりかけてきた

大人になってからは毎回反省するようになったけど
同じ事を繰り返すということは
反省出来ていない証拠だ


人に迷惑をかけないように生きていきたいのに
人一倍迷惑ばかりかけて生きてきてしまった


来年のこの時期の一人反省会をする時

どうか、この目標を忘れずに心がけていますように

まずはこの目標を、手帳に書くことから始めよう







* * * * *

2014年12月5日金曜日

「 冬 と 雨 戸 」


「雨戸閉めといてあげたから」

冬、母は布団を入れると
雨戸も閉めてしまった

「もう閉めたの?」外はまだ明るい



でも、

寝るとき布団はフカフカで

部屋はやさしく暖かった




* * * * *

2014年11月28日金曜日

「 朝、顔を洗う 」


高校の美術の先生が

朝は顔を洗わない
朝、顔にいる菌は
いい菌だから

と言っていた



忙しい朝とか寒い朝は
顔を洗うのが億劫になる

こういう時
先生の誘惑が頭をよぎる



今朝気がついたのだけど
私はかれこれ一年くらい
朝、顔を洗っていなかった
そしてそのせいなのか分からないけど
ダラダラとした生活を送っている


今朝、顔を洗った
寒くて先生の言葉が
頭をよぎる


朝、顔にいる菌は
いい菌だから


私にとっては、いい菌という名の
シャキッとしない生活だった


冷たい水で顔を洗い
パジャマを脱ぎ捨てた




久しぶりに心から湧き出るものがあった


グッモーニング エブリワン

アイ ファイン

テーーーーーンキュー!!


* * * * *

2014年11月22日土曜日

「 暗 示 」


米を食べれば大丈夫

何となくそう思った



最近貧血気味だ

疲れが溜まってきているのかも知れない






根拠はないけど

米を食べれば大丈夫だと思った

大丈夫な気がするだけで安心する



米を食べよう

米を食べよう


*  *  *  *  *  *

2014年11月15日土曜日

「 最近の、自分ダメなやつだなと思った瞬間 」



フタをちゃんとしめない癖が
仇になった時

フライ用の粉を
多く残してしまった時

歯を磨いた後に
みかんを食べてしまった時



まだあったはずなのに
忘れてしまった…
メモしておけばよかった…


とにかく
しょっちゅう感じる
自分ダメなやつだなぁって

* * * * * *

2014年11月8日土曜日

「 たそがれかも 」


この季節 冷たい空気をすいながら外を歩いていると

心の奥の方から 寂しさのような
懐かしさのような気持ちが 沸いてくる

夏が短いことを感じる瞬間でもあり
子供の頃 冷たい空気をすいながら
外で遊んでいた記憶が蘇る瞬間でもある


でも この寂しいようで懐かしい気持ちは
もっともっと昔のご先祖様のもっともっと前の
感情のなごりなのではないかと思った


今では想像もつかない暮らしをしていた頃
今年も楽しい夏だったなーなんてのんきなことを言う暇もなく
夏の間に食料を蓄え 暖になる枝を集め
冬支度を終えるのがちょうど今ぐらいの時期だったのかもしれない
そのころ生きていたご先祖様は
本来の自然な形で冬と向かいあっていたのだと思う



この黄昏れは 厳しい冬を乗り越え
生きぬいてきてくれたご先祖様のもので
私が生きてきた時間ではなく
もっと昔からやってくるものなのかもしれない


黄昏れている瞬間は
細胞に受け継がれてきた遠い記憶を
かすかに思い出しているからなのかもしれない


黄昏れと共に
私はご先祖様と生きている

あぁ 生きるって不思議

* * * * *

2014年10月31日金曜日

「 柿 」



私は幼稚園児のころ
仲の良い友達と人んちの柿をとって食べていた


 「あそこの柿は美味しいよ」


 あちこちの柿をとって食べ比べていた

 柿は洋服で磨いて皮ごと食べた
 渋い部分はかじってペッと吐いた
 柿を食べながら何を話していたか覚えている

 「ずっと友達でいようね、おばあちゃんになっても、天国にいっても」



 ある朝母がこう言った

 「あんた、○○さんちの柿食べてんの?」


 私はマズいと思った
 そういえば○○さんちは姉の同級生の家だった
 怒られると思った




 母は続けてこう言った

 「○○のおばちゃんがね、
  今度はピンポンおしてからとってねって言ってたわよ」


 怒られなかった

 むしろ母は「今どき柿泥棒なんてめずらしいわね」と笑っていた



 それから柿泥棒はやめた
 友達も小学校に上がると同時に引っ越してしまった



大人になってわかったことは、
「ピンポン押してね」と言ってくれたおばちゃんの優しさと
子供の頃の友達と過ごす時間はとても短く儚いということ






渋柿は干し柿にするとどうして甘くなるのだろう

思い出も年と共に渋い記憶が甘くなった





* * * * *

2014年10月17日金曜日

「 サザエさん 」


家にはサザエさん全巻があって
中学生くらいの頃はいつも
寝る前に二冊か三冊を本棚から取り出して
読みながら寝るのが日課だった


母は昔よく言っていた

「サザエさんと10万円だけもってお嫁にいったのよ」と





そのサザエさんを、母が私にくれた
母は数年前から、「死に支度」と言って
家の物を片付けている




「サザエさんもらってくれない?」


そう言われた時は
軽くもらうよと返事をしたけど
手元に届いたサザエさんが
丁寧に丁寧に段ボールに入っていて
本当に「死に支度」をしているんだと
初めて感じた瞬間だった






「サザエさんと10万円だけもってお嫁にいったのよ」

もう、その時代は終わったようだ




「冥土の土産があるから何にもいらないのよ」

きっとそんな風に言うに違いない





ちなみに母はとても元気に生きている


* * * * *

2014年10月14日火曜日

「 不謹慎な過ち 」


私には、病気なんじゃないか
というくらい不謹慎な部分がある

それは、笑ってはいけない状況になると
些細なことでも笑いがこみ上げてきてしまうことだ



これが発症したのは中学生の時
笑ってはいけない状況の中
わたしはあることをきっかけに
笑いをこらえきれなくなり吹き出してしまった

案の定、その場を仕切る人に
なぜこんな状況で笑うのか?と怒られた
すみませんと口には出していても
もう、こうして怒られていることすら
おかしくなってしまう





中学生から今に至るまでの
不謹慎な過ちを数えてみた


 不謹慎(大) 4回

 不謹慎(中) 3回



この数字が多いのか少ないのか分からないけど
現在でも更新されているところが危険だ

若いときはまだ許される
しかしわたしはもう許される年齢ではなくなった


静けさと周りが真剣であれば真剣なだけ
些細なことがきっかけで笑いがこみ上げてしまう
笑ってはいけない状況であればあるだけ
笑いがこみ上げてきてしまう

下唇をかみ、太ももをつねり
頭の中を別の何かで埋め尽くし
吹き出しそうな笑いの波を必死で紛らわす
これでも真剣に笑いをこらえている




松本人志の笑ってはいけない○○という番組があるけど
私から言わせてもらえばあんなのは笑ってはいけない状況ではない

本当に笑ってはいけない状況で笑ってしまうと
周りはどん引きし笑えない空気がじわじわと広がる








今朝起きるとわたしの下唇は腫れていた

鏡の前に立ち、
これは先日の不謹慎な行為のバチではないかと思った
今回ばかりは神様のバチがあたるかもしれない



どうか、お尻たたきで許して下さい。






 * * * * *

2014年10月12日日曜日

「 気持ち悪い笑顔 」



先日、気持ちの悪い接客に出くわした

とても親切丁寧な対応をしてくれていても
その顔があからさまに作り笑顔だった

目を細め、頬をあげれば
笑顔が作れると思っているような顔だった
見ていてとても気持ちが悪く
こちらの顔が真顔になってしまう

そんなに常に笑顔でいる必要はあるのだろうか
会社から笑顔で対応しなさいと言われているのだろうか

不満やストレスがたくさん溜まっている顔をしている
それが作り笑顔の裏側からひしひしと伝わってくる

気分も悪いし気の毒だとも思う



昔出会った、心に残る接客を思い出した

たしか場所は浅草橋だったと思う
私は買い出しの合間にお腹がすいてご飯やさんに入った
そこはとてもとても混んでいてわたしは少し待たされた
しばらくしてせまいカウンター席に案内された
メニューを選んでいると定員さんが近づいてきた


「広い席が空いたけど移動しますか?」と定員さん
わたしは「ここでいいです」と言った
そしたらその人は「それならいいです」と言った


そのときのその人が全く何も演じてない素の状態だった
普段のその人となんら変わらなさそうに見えた
丁寧さはなかったけど妙に心に残る接客だった




私は間違った捉え方をしている日本の丁寧なおもてなしが苦手だ
なんとかならないもんかと思う

気持ちのいい接客がもっと浸透したらいいと思う
その為には、働く側もお客側も人と対話するときの
本当の気持ち良さが何なのかを知る必要がある




こんなことを言っている普段の私は大抵作り笑顔
笑顔でいれば何とかなると思って生きている

でもできれば、気持ちの悪い印象は与えたくないので
作り笑顔だとバレないよう
日々笑顔のクオリティをあげていきたいと思う

そして本当に気持ちのよい接客とは何かを
追求してもいきたいと思う

* * * * *

2014年10月9日木曜日

「 LOVE LOVE LOVE 」


昔テレビで、
THE夜もヒッパレを毎週見ていた

一週間の歌のランキングを若手からベテランの歌手や
若手のグラビアアイドルや昔売れた歌手などが
次々に出てきて歌う番組だった


歌手じゃない人も歌うので
ヘタクソだなーと思うことはよくあった
でもそれよりも、わたしには気に入らないことがあった


それは、ベテラン歌手が流行の歌のサビを
自己流にアレンジして歌うことだった
のばさないところをのばして歌ったり
音低を勝手に変えたり

毎回のように出ていたある歌手は
必ずアレンジして歌うので
私はその歌手が出る度に文句を言っていた


ある日、私はいつものように
鼻歌を歌っていた
昔大好きで何度も何度も聞いていた
ドリカムの LOVE LOVE LOVE


♫ 二人 出会った日が

   少しずつ思い出に なっても ♪



ここを歌っているとき私は気付いた

吉田美和ちゃんと違う歌い方をしている
自己流にアレンジしてしまっているではないか


  ねぇ どうして…


でも私の場合それには原因があった
腹筋が衰えており呼吸が続かず
本物のように歌えないのだった


  ねぇ せめて…



あのとき、文句を言っていた自分は
自然の摂理というものを知らなかった


  ねぇ どうして
  涙が 出ちゃうんだろう …





  涙が 出ちゃうんだろう …


* * * * *

2014年10月3日金曜日

「 心臓がとびでそうなくらい感動したい 」


夏を境に生活が一変した
一番変わったところは、自分の思うように
時間が使えなくなったこと


生活が変わり、何週間か経った頃
自分の中に何か不安なものがころころしているように思えた
これは何だろう、わたしは何が不安なんだろう
何日かその不安をころがしながら過ごしていた
そしてふと、そのころころの原因がわかってきた


今日はこれをやろう、後でこれをやろう
そう思っていることがことごとく出来ないでいた
いつもあたり前にできていたことが出来ない
でもそれらはたいしたことではなかったので問題ではなかった



ただ、わたしの不安はそれにつながっていた


出来ていたことが出来なくなって
出来ないことがあたり前になって
それらを忘れてしまうことが不安だった


目の前の生活にただ流されてしまうことに不安を感じていた







自分のやりたいことが分かるようになってから
日常生活と自分の人生の時間が重なって進むようになった
何でもないことが絵になり、ささいなことが言葉に残った

この生き方をわたしは気に入っていた
そしてこれからもそうしていきたいと思っていた

これは生活だけに流されてはできないことであって
自分の人生だけを追ってもできないことだった


目の前の生活だけになりそうで私は不安を感じていた



今やりたいことが出来なくても
そのことを忘れなければ、きっとわたしの人生は
今までのように生活に重なり進んでいくのだと思う
この生活も、わたしの人生の一部で
私は今もあの山を目指して旅している



あぁ、不安を言葉に噛み砕く事ができた








昔、ブログか手帳かどこかに書いたことがあった

「 心臓がとびでそうなくらい感動したい 」と






今、目の前の人生が

心臓が飛び出そうなくらい

楽しいものに思えてきた




* * * * * * *

2014年10月2日木曜日

「 牛乳パック 」


小学生のころ、給食に出る牛乳は
飲み終わると折り畳んで捨てなければならなかった

6年間もそれを続けていたので
わたしは今でも無意識のうちにそれをやってしまう


パックの飲み物をたたまないで捨てる人を見ると
心の中で一瞬「あっ」っと思っている
それはとても一瞬の出来事なので
自分でも気がつかないくらいの「あっ」なんだけど
「あっ」の後には「いけないんだ」と思っているんだと思う
でも実際はそこまで気にとめていない



パックをたたむとき、一つ嫌な点がある
それは中身が少し飛ぶことだ

昔、わたしと同じようにパック飲料をたたむ人がいた
その人はパックが平になった状態で
しばらくちゅーちゅーとストローを口にくわえていた
もう中身はないはずなのに、ストローとつぶれたパックをくわえたまま
ちゅーちゅーしながら会話をする

それだけ吸えば中身は飛ばないんだろうけど
その姿はあまり人に見せるものではないように思えた
一瞬ならいいんだと思う、わたしもよくやっている
でも長時間になると、人に気付かれる、そしてお下品にみえる




それはおいといて、パックをたたまないで捨てると私はどう思うのか
これだけ習慣付いているのできっと罪悪感が残るにきまっている

そう思った



今日、突然たたむのがめんどうになった

なので試しにたたまないで捨ててみた






すると

割りとどぉも思わなかった


いや割りとではない


全然どうも思わなかった


という
どーでもいい話


ちゃんちゃん




* * * * *

2014年9月18日木曜日

「 秋 」


いつの間にか秋になっていた

今年の夏もいい夏だった


ありがとう、夏


また来年

夏が来るのを

楽しみにしているよ


* * * * *

2014年9月17日水曜日

「 甘納豆 」



「甘納豆って、甘い納豆だと思って食べなかった。ネーミングミスだよね」

そう言った友達がいた



子供の頃、母の日に甘納豆をプレゼントした
甘納豆を受け取ると、母は「わぁうれしい」と喜んだ
母は甘納豆が好きだった


甘納豆は昔から家にある定番おかしの一つだった
だから友人が言ったような、甘納豆が納豆の甘いやつ
などとは考えたことがなかった



自分で甘納豆を買ってまで
甘納豆が食べたいと思ったことはない


でもいつか
甘納豆という名前の響きが懐かしくて
甘納豆を食べたくなる日が来る気がする




* * * * *

2014年8月19日火曜日

「 小さいお家 」


映画の「東京家族」を観てから、
また山田洋次監督の映画が観たくなり
今度は「小さいお家」を観た。


ワンシーンワンシーンが大事に撮られていて、
絵を観ているような気持ちになる映画だった。
絵をみているようなのに、映画は動くものだから、動く写真のように見える。


いいなと思うシーンは、着物を着ている松たか子の帯の線が、
行きと帰りとで位置が変わっていたところ。
この帯が秘密を語っているところが粋なシナリオだと思った。


それと東京家族を観た後だったので、同じ役者さんが沢山出ていて、
また同じ夫婦役の設定だったりとそれも面白かった。
いい役者さんばかり出ている映画って、落ち着く。

目が気持ちいぃ映画だった。


* * * * *

「 塩対応 」


アイドルの握手会などで、
冷たく無愛想な対応のことを「塩対応」と呼ぶらしい。

少し前から聞くようになり
ネットで意味を調べ、へ〜と思っていた。


ご近所で、あいさつをするといつも
「感じわるいな〜」という印象が残るおばさんがいる。
でも生活リズムの兼ね合いでこのおばさんにあう確立は高い。

わたしは、毎度感じわるいな〜
という思いが残るのがいやだった。


でもそれを、これは「塩対応」なのではないか?と思うようにしてみた。
そしたらなんとも簡単に気持ちがすっきりした。




きっと「塩対応」という言葉は、
自分が納得するために生まれた言葉なのだろう。
アイドル想いのファンから生まれた言葉なんだと思った。



「塩対応」とうぶん活用できそうだ。




* * * * * *

2014年8月12日火曜日

「 東京家族 」


山田洋次監督の「東京家族」という映画を観た
男はつらいよは観た事ないけど、
「おとうと」という映画を観てこの監督が好きになった


「東京家族」は、小津安二郎監督の「東京物語」の
リメイクだというのを耳にしていたので気になっていた

小津安二郎監督の「東京物語」は何年か前に観たけど
どんな映画かと言われると「ただ単に昔の家族のお話」
というくらいにしか思わなかった


そして「東京家族」を観た感想は
「今(現代)のただの家族のお話」だった
家族愛がどうとか、人間の命の儚さがどうとか
背景に何か大きなテーマがあるでもなく
ごくごく普通の家族の風景を切り取った
アルバムを眺めているような映画だった


それでそうかと思った

「東京物語」もそういう映画だったのだと
60年も前の映画だったので、そこまで感情移入ができなかった
でもどちらも、その時の今をそのまま描くことが
映画として形に残すテーマになっているんだと感じた


「東京家族」の終わりに
橋爪功が新聞紙の上で一人足の爪を切っているシーンがある
何でもないシーンだけど、何でもないようなことの積み重ねが物語になっている
胸にジンときた


この映画を、10年後20年後にまた
自分と重ね合わせて観るのだろうと思った


こういう創られていない映画を
妙に新鮮に感じた



























* * * * *

2014年8月6日水曜日

「 ながら掃除 」


だいぶ昔に読んだ雑誌で
“ ながら掃除 ” というのを知った

何かしながらお掃除することを言うそうだ

たとえば、
お風呂に入りながらタイルを洗うとか

歯をみがきながら
片手でちょっとした拭き掃除をするとか


私はずぼらで適当な性格なので
お部屋の全部が隅々までピッカピカ
という掃除は続けられない
大体きれいになっていればオッケーだ


この “ ながら掃除 ” どうも私の性に合っていたみたいで
いつの間にか習慣となっていた
忙しい時でも “ ながら掃除 ” なら続けられる


ポイントは一気にやろうとしないで
毎日気がついたところをちょっとだけやる
これだけで、そこそこきれいな生活が出来る



一気にやろうとしない


最近気がついたのだけど
これが長続きのコツだと思った
私にはこれが合っている

ながら掃除に限らず
他のことも


* * * * *

2014年8月5日火曜日

「 さようなら 」


初めての一人暮らし

その引っ越しの朝、家を出るときに

わたしは父に「お世話になりました」と言った

父はちらっとわたしの方を見て

表情も変えずに「さようなら」と言った


え?それだけ?
と拍子抜けした覚えがあるけど

その「さようなら」が忘れられない

時間が経つにつれ、
「さよなら」の後ろに言葉が続いて聞こえてくる



さよなら、気をつけろよ

さよなら、しっかりやれよ

さよなら、死ぬなよ

さよなら、元気でね





友達が夏の引っ越しを控えている

あれもたしか夏だった

良い旅立ちになりますように




* * * * *

2014年8月2日土曜日

「 夏と前髪 」


8月の上旬は夏の真ん中なので、
安心して夏を味わうことができる。


昼間の熱気の中で
「夏だー!!」

洗濯物が一瞬で乾く
「夏だー!!」

ごまだれ素麺食べて
「夏だー!!」

熱帯夜の外に向かって
「夏だー!!」


と叫びたくなることしばしば




夏は夏ってだけで楽しくなる
雰囲気のいい居酒屋に入ると勝手にテンションが上がって
ビールもつまみも美味しく感じてしまうのに似ている


昨日前髪を切った
この夏に似合うよう短めに

昔イヤな事がある度に前髪を切っていた時期があった
でもある時を境にそれは気合いを入れるためへと変わった
今の私にとって前髪は気合いの象徴だ

お盆までは、安心して夏を堪能できそうだ
夏はとても短くて、あっという間に秋の風が吹く

今年の夏にやることは
一つだけ決まっている


夏はいつも 何かしでかしたくなる
心の奥から沸き上がるエネルギーを
今年はその一点に集中しよう


* * * * *

2014年7月28日月曜日

「 天ぷらの5段階評価 」


天ぷらをどれだけ上手に揚げられるかを
5段階評価にすると私は今まで2だったと思う
それは「誰でも簡単に揚げられる天ぷら粉」を使っても結果は同じだった


でもいつか上手に揚げたい!と思っていたので
料理の雑誌やネットで天ぷらを上手に揚げる方法
というのをこれまで何度か調べ試してきた


その成果もあって
先日、天ぷらをサクっと上手に揚げることができた!
ネットで調べたプロの料理人さんのアドバイスが生かせたのだと思う



アドバイスはこんな感じだった

「天ぷらは、小麦粉で誰でも簡単に揚げられる」

「小麦粉は、ちょんちょんと混ぜるだけ、だまが残るくらいが丁度いい」

「油は数回使った油に新しい油を半々くらいの割合で」

「たっぷりの油で170°」

「油の温度とコロモの温度差が大切」




このアドバイスを参考に作ってみたら、評価4の天ぷらが出来た!
あと3回揚げて、同じようにサクっと美味しく出来たら5にしようと思う
毎度成功しなくては5はもらえない


なにはともあれ、今までヘタクソだった天ぷらを
美味しく揚げられたことが嬉しかった


美味しく揚げるコツとして、
上記のプロのアドバイスに自分の言葉を加えるとしたら
「天ぷらを揚げる時は真剣に、ナメた態度で挑むと失敗する」
を追加しようと思う



子供の頃の私の成績表は2ばかり並んでいた
でもそれは当たり前で、何も一生懸命に努力したことがなかった
5をもらえる子は必ずどこかで努力している




算数も国語も社会も、勉強全般苦手だけど
自分の興味のある分野だけでもいいから
もっとこうなりたい、もっと上手くなりたい
という気持ちをこれからも広げていきたいと思っている




出来るようになると嬉しい

これは、pricelessな喜び。



* * * * *

「 カナブンの雨宿り 」


昨日は少し外出している間に
突然の雷雨に見舞われた

空はどんどん灰色に変わり
風が強くなったと思ったら
一気に大粒の雨が降り出した


出かける前
ものすごい熱気と暑さだったので
これは洗濯物が一瞬で乾くぞと思い
洗濯物とシーツを洗って干していった


家に着いた時
シーツはびしょびしょ
洗濯物はかろうじて濡れていなかった


雨はしだいに止み
すぐに青空が広がった


部屋に干していた洗濯物が乾いたので畳もうとすると
私のスパッツにカナブンがくっついていた
それはそれはガッチリとしがみつくように


カナブンも突然の嵐に驚いたのだろう


必死で見つけた雨宿り

もう外は晴れたよ と

窓を開けてスパッツを振りかざすと



元気よく青空に飛んでった




* * * * *

2014年7月24日木曜日

「 割れたグラス 」



お気に入りのグラスが割れた


そのグラスは、ケーキ屋さんで買った
ムースか何かが入っていたグラスで
自分ではあまり買わないような大きさだったので
いつの間にか気に入って毎日使っていた


昨日お皿を洗っているとき、
この小さいグラスの中に入れた水筒のフタが
ハマって取れなくなってしまった
それを力ずくで取ろうとしたら
パリンと割れてしまったのだ


お気に入りの食器やグラスが割れたとき
始めはショックが心の真ん中を走る
それでも陶器やガラスは割れるものだから
そういうものだと分かって使っている


でもやっぱり割れて使えなくなってしまうことは悲しくて
なんとか自分を納得させようと心がける


そしてこういうとき
私は、自分にこう言い聞かせる


「これが寿命だったんだ」





しかしそれは、
数時間前に味わったあの気持ちに似ていた

数時間前、私はカメの水槽を洗った
カメを水槽へ戻すと、カメは早速うんこをした


「立派なうんこをしたね」




攻めてもしかたのないことは
自分で自分を納得させるしかない

心に残るモヤッとした気持ちは
時間に取り去ってもらうしか方法はないのかもしれない


* * * * * *

2014年7月17日木曜日

「 どーでもいい話し 」


寝る前の習慣で、アメブロランキングを見ている
その中で必ず覗いているのが木下優樹菜ちゃんのブログ

娘のリリナちゃんがとってもかわいい
フジモンにそっくりですごくかわいい
リリナちゃん見たさに毎日覗いてしまう



芸能人のブログは知り合いじゃないので
勝手にどーでも良く見れるから気軽でいい

そして内容もどーでもいいことばかり書かれていてそれがいい
どこどこでランチしたよとか今日の晩ご飯とか
ネイルを新しくしたよとか今日のファッションとか
はっきり言ってどーでもいい



木下優樹菜ちゃんがいつかのブログの中で
芽ネギの寿司が好きだと言っていたことがあった
私は芽ネギの寿司というものを知らないし食べたこともない
彼女のブログから知り気になった
いつかお寿司やさんへ行くことがあったら
頼んでみようと思っている



私はテレビのない生活をしているけど
どこかで娯楽を求めているのだと思う
いってみれば芸能人のブログランキングは
テレビのバラエティ番組に近いものがあるから
どーでもいいけど面白いし
知らないことを知れるし暇つぶしにも丁度いい




ふと、自分がテレビを見なくなった理由は
一人で見るのがつまらないと感じたからではないかとも思った

子供の頃、家族と一緒に見たテレビは
誰かが笑ったり、テレビに文句を言ったり、ただ見ているだけではなくて
そこにはテレビがないと出来ない会話があったり
テレビがあるから一緒に過ごせる貴重な時間があったのかもしれない




長いことテレビから離れて過ごし
テレビの大事さが分かってきたのかもしれない
テレビを見ている時間がもったいない、と
一概にそうは言えなくなった
だからそろそろ買ってもいいのかなと思っている





今年は紅白歌合戦が見れるかな♩

年末までにテレビ代を稼がなくては



* * * * *

2014年7月16日水曜日

「 ガリガリ君のソーダ味 」


梅雨はもう明けたのかな?
最近毎日暑い、そして暑い日は
ガリガリ君のソーダ味が食べたくなる

最近本当に毎日食べたくなるので
まとめて買って冷凍庫にストックしている
でもどんなに食べたくても、1日1本と決めている

これは大事なことだと思っていて、
きっと食べたいだけ食べてしまったら
この美味しさの有り難みを忘れてしまう


子供の頃、親に100円もらって駄菓子屋さんに行った
100円以内で買えるお菓子を真剣に選んだ
駄菓子屋さんでは100円の物を一つ買うのではなく
10円とか30円のものをいくつか選んで100円にする
それが嬉しくって楽しかった

大人になってから、駄菓子屋さんに行ったことがあった
なつかしいお菓子を買いたいだけ買った
でもそれだと、子供の頃のようなわくわく感はなくて
心のどこかで寂しさを感じた

そうじゃないんだ

そう思った




ガリガリ君の話に戻るけど、
子供の頃は、ガリガリ君をどこか少しバカにしていたように思う
それは、ガリガリ君が安いからというのもあるし
どこにでも売っていていつでも手に入るからというのもあった

どちらかというと子供時代は、
ジャイアントコーンとかアイスモナカの方が嬉しかった


ガリガリ君ソーダ味の美味しさを知ったのは、ここ最近のこと
甘過ぎないソーダ味と雑でない氷のジャリジャリ感が
食後のお口直しに丁度いい


社会人になって、世の中の仕組みが少し分かると
ガリガリ君が色んな味を出して私たちを楽しませてくれるのは
ガリガリ君がずっと売れ続けているから出来ることなんだと知る

昔からあるガリガリ君ソーダ味が
多くの人に変わらず愛され続けている
それはすごいことだと思う

私はソーダ味のガリガリ君を毎日1本食べながら
そんなことを考えている

安くて変わらぬ美味しさに感謝して



* * * * *

2014年7月8日火曜日

「 手紙の中の種 」



4年か5年くらい前
友達からもらった手紙の中に
朝顔の種が入っていた

ずっとしまっていて忘れていたのだけど
今年はそれを植えることにした


種は10粒くらいあって全部植えた
双葉が出たのは4つだった

何色の花が咲くのか楽しみだな
と思いながら毎日水をやっていた

梅雨に入り朝顔はぐんぐん伸びていった
そして今朝 つぼみの一つが咲いていた


かっこいい紫色だった



朝顔を育てたのは小学校以来
夏休みの宿題で出た朝顔の観察は
最後にまとめて適当に書いた

大人になってから育てる朝顔は意外に楽しい
伸びてく蔓をあなたはこっち
あなたはこっちへ巻き付くのよと先導させる
一日見ないだけで蔓がぐんと成長している



 明日は何個咲くのかな


子供の頃に聞いた誰かの作文の一行だと思う
今の私はそれが一日の楽しみになっている


























種が出来たら来年も植えよっと



* * * * *

「 一日に取り憑く魔物 」


日曜日
回し終わった洗濯機を覗くと
洗濯物がティッシュまみれで白くなっていた

朝ご飯
お味噌汁が熱くて
お椀を持った手の親指をやけどした

納豆を食べた
その箸で玉子焼きを取ろうとしたら
床に落っことした



魔物がいる

そう思った日曜の始まりだった




それでも日曜の後半はわりと順調に事が進み
朝の出来事のことなんてすっかり忘れていた




月曜日
夕飯にお好み焼きを作ろうと買い物へ出かけた
最近は小麦粉ではなくお好み焼き粉という
出来上がった粉を使っている


スーパーを出た時
粉を買い忘れたことに気がついた
なので今回は家にある小麦粉で作ることにした


夜お好み焼きを焼いた
生地がゆるかったのかひっくり返す時
フライパンから外れ落っこちた
それはそれは食べられないくらい派手に




魔物が出た

月曜日に来た魔物はこう言った

「日曜日は半休をとった」




律儀にどうも



* * * * *

2014年7月4日金曜日

「 苦い蒸しパン 」


最近パンがとても好き
理想はパン屋さんのパンが食べたいけど
美味しいパン屋さんが近くにないのとお金がないのとで
普段はスーパーかコンビニでパンを買う


スーパーやコンビニでも
蒸しパンだけはどれも美味しい
蒸しパンなら何でも大好きだと言える



小学生の時、担任の先生の家に
友だちと急に遊びに行ったことがあった
その時先生は私たちに蒸しパンを作ってくれて
蒸しパンってお家で作れるんだと感動した思い出がある

何となくその頃はパンというものは
家で作れないものだと思っていた



何年も前、急に蒸しパンが作りたくなったことがあった
その時の私は、適当にイメージで作ったのだと思う
見かけはバッチリ美味しそうな蒸しパンが出来た
しかし味はビックリするくらい苦かった
多分重層を入れすぎたんだと思う
あれ以来蒸しパンは作っていなかった

私はお菓子作りがどうも苦手で
蒸しパンもその部類に入ってしまっていた



先日作ったジャムの残りの皮で
オレンジピールを作ろうと思っていた
でも、チョコを溶かすところから失敗して
クソオレンジピールが出来上がった
周りのチョコもべちょべちょで中の皮もぐにょんぐにょんだった
もう一気にやる気が失せて、
何日もの間オレンジピールになれなかった皮を
冷蔵庫にほっぽらかしていた


でもふと、
あの皮を蒸しパンに入れたら
美味しいんじゃないか?とひらめいた
今度はネットでちゃんと作り方を調べてから作ることにした

するとホットケーキミックスで
蒸しパンができるというレシピを見つけた
ちょうど家にホットケーキミックスがある
簡単そうなのでこれで作る事にした


出来上がった蒸しパンは蒸しパンだった
けど、みかんの皮を入れ過ぎて苦くなってしまった
どうしてわたしの作る蒸しパンは
いつも苦くなってしまうのだろう…
蒸しパンの具のバランスがつかめない

美味しい蒸しパンが作れるようになるまでには
まだまだ修行が足りないようだ





美味しい蒸しパンを
ササッと作っている自分


いつかはそうなりたいな

プーと膨らむ蒸しパンのように
そんな夢を膨らませている



* * * * *

2014年7月1日火曜日

「 パパ/先生 」



4月から通っている歯医者さんも
あと一回残すのみとなりました


今日の私の予約時間は
先生達のお昼休み前最後の予約だったみたいで
わたし以外の患者さんはいませんでした


治療してもらっているとき
カランカランとドアが開く音がして
かわいい声で「パパー」と聞こえてきました
奥さんと娘さんが来たようです
一緒にお昼を食べるのかなぁ
と思いながら私はポカんと
口を開けていました



その後も何度かうしろの方から
「パパー」というかわいい声がして
治療の合間に先生がちらっと
そちらを向いたのが分かりました


先生は普段から口数が少なくボソボソと話をします
くまさんのような優しい顔をしていて
きっと普段は人見知りです




治療が終わりにさしかかった頃

先生:「それでは磨いていきますね」

 キュイーーーーン


今日は奥歯の治療だったので
だんだん口を開けているのに疲れて
口が小さくなってしまっていました


先生:「あーんしてください」




聞き間違え…
じゃないよな…

わたしは あーん をしました
多分先生は気づいていません




お家では、先生がお子さんの歯を
磨いてあげているのかな

マスクの下で
何度も思い出し笑いをしながら
家に帰りました




* * * * *

「 壊れた洗濯ハンガー 」


洗濯バサミがいっぱいついた洗濯ハンガーがだいぶ前に壊れていた

購入して一年くらいで真ん中からバキッと折れてしまった
きっと私の使い方は重量オーバーだったのだと思う


まだ新しいので捨てるのにはもったいなく
なんとか出来ないかと考え過ごしていた
多分半年以上悩んでいたと思う

私は優柔不断な性格ではないけど
何かしら(何でもよい)の決め手がないと
答えが出るまでそのままにしてしまう

それでもこれがないと
ハンガーでしのぐしかないので
不便ではあった

薬局やホームセンターへ行く度に
新品のものを眺め買おうかどうか悩んでいた

1000円あれば良いのが買えた
壊れたハンガーは洗濯バサミだけ外して使おうかとも考えた
でも、まだ新しいという点がひっかかっていた



今日は久しぶりにお日様がのぞいている
枕カバーもタオルケットも洗った
それはいいのだけど、これらを干すものがなかった…


ふと壊れたハンガーをもう一度眺めてみた
すると、とてもシンプルな修復での再利用方法が見えた















































長いこと探していた答えがやっと降りてきた

このハンガーにタオルケットを干した時の充実感といったらもう


写真を撮っちゃうほどです





* * * * *

2014年6月24日火曜日

「 マーマレード 」



ジャムは甘くないのが好きなんだけど
スーパーで売っているものは
砂糖不使用で作られていても甘いと思ってしまう



夏みかんをもらった
無農薬で作られているから皮はジャムにできるわよ
そう言っていただいたので早速作ってみることにした




初めてジャム作り

ジャム作りって楽しい



自分好みの味にしようと砂糖は控えめ
苦くて酸っぱくしたかったので
皮多めのレモンの果肉も入れてみた



皮を煮込んでいるとき、みかんの皮が
鮮やかなオレンジ色に変わってきれいだった


味見をしながら作ったので
苦くて酸っぱい理想のマーマレードが出来た
前日仕込みを合わせて調理時間は3時間
瓶3つ分が完成した




マーマレードは大人になってから好きになった味

出来上がった瓶を眺めて思う

自分好みのジャムが作れるようになるなんて

なんて幸せなことなんだろう、と



* * * * *

2014年6月23日月曜日

「 やじ問題 」



国会でのやじ問題が話題になっている

傷つけるようなやじを飛ばすやつが
もちろん悪いと思うし即刻退場させていいと思う


でも出来ればその場や会議が終わった後で
やじを飛ばしたそいつの前か隣か後ろに座っている大人が
そいつの頭をひっぱたいて「そういうことを言うな」「謝れ」と叱れば
その場で事はすんだはず



「声の質や場所で発言した人物を特定できる…」

「名乗り出て謝罪を…」


とかって後になって遠回しなやり方で

メディアを通して犯人探しをしているところが気持ち悪い




このやじのニュースを読んでいたら
荒れる成人式のことが頭をよぎった

ステージに上がって式を台無しにする新成人
でもその場で叱られている新成人の方が
まだ未来は明るいと思う


もうずいぶん前から
子供を叱る近所のオヤジ(大人)がいなくなったと言われている
これは現在の大人社会にも言えるのだと思う

間違っていることは、間違っている
大人だろうがどんな肩書きを持っていようが叱っていい
ただ、その叱り方というのも学ばなければならないと思う
吊るし上げや袋叩きにするのではなく
間違った大人への叱り方がまだ未熟のように思える


ゲンコツ一発 ごめんなさい

相手が大人となると、そう簡単に行かないことは重々承知している
でもそれくらい気持ちのいい社会になったらいいなと勝手にわたしは考える

* * * * *

「 カツカレー 」






















カレーが食べたいわけではなく
トンカツが食べたいわけでもなく
カツカレーが食べたくなる時がある


昔はカレーはカレー、トンカツはトンカツ
トンカツにカレーをかけちゃうなんて
もったいないじゃないかと思っていた



でも最近、
カツカレーはカツカレーという食べ物なんだと分かった

漫画だったかな、何かで言ってたんだけど
ナポリタンはパスタではなくナポリタンという食べ物だ。と
カツカレーもそれに近い



カツカレーは、
年に一度くらいしか食べたくならない
だから食べ比べをしたこともない
どういうものが美味しいとかも全く分からない


でも食べたくなった時に食べるカツカレーは美味しい
結局なんでも食べたいときに食べるものは美味しい


これに限るね







* * * * *

2014年6月20日金曜日

「 手 紙 」



20代の頃からいつも頭の中でイメージしていた道があった

少し前まで私は高い場所から遠くの景色を眺めていた

そこにいる時はあそこへ行きたいと指差すことができたのに



そこへ向かうには、
まずその高い場所から下へ降りなければならなかった

下へ降りるとこれまで指差していた所が見えなくなった

どうやったらそこへ行けるのか時間だけがどんどん過ぎていく



もう、あの指を差していた方向へは行けないんだ

あきらめよう




そう思うたび、心の中でなにか丸いものが
コロコロ転がっているのが分かる

そして私はこの丸いものの正体を知っている



これは、10代のころ見つけられなかったもので
20代の終わりにやっと見つけたもの



これからもし、いつも見ていた景色を見ないようになったら

そして、この丸いものがなくなったら

わたしは指差す方向へ行くのをあきらめようと思う





これは、未来の自分へのお手紙です。






* * * * *

2014年6月19日木曜日

「 ワガママになったカメ その後 」


カメが普通のエサを食べるようになった

美味しいエサをあげなくなってから
発狂し長いことスネていたけど

今はあきらめ顔はしているものの
普通のエサを食べるようになった


エサを食べなかったとき
はじめは心がギュッとなったけど
一週間が過ぎた頃には私も慣れてきて
しまいには勝手にしなさいと思っていた



* * * *


実家の近所にいつも吠えている犬がいた
その犬はプーちゃんと呼ばれていた

プーちゃんがまだ子犬の頃
プーちゃん プーちゃんと
飼い主がかわいがる声がいつも聞こえてきた


プーちゃんは子供の頃から良く吠える犬だった
プーちゃんは大きくなり、さらに声を張り上げ吠えるようになった

飼い主はだんだんとプーちゃんをキツく叱るようになった
それでもプーちゃんはワンワン吠える
プーちゃんの鳴き声もうるさかったし
飼い主の叱る声もうるさかった


あの時、うるさいなと思いながら
でもプーちゃんかわいそうだな、と感じたことを思い出した


小さい時は、吠えても
かわいいかわいいってしてくれたのに
大きくなって吠えたら叱られる

だったら小さい時から、教えてもらいたかったに違いない


* * * *


私が飼っているのはカメだけど
毎日顔を見ていると、感情があるのが分かる
小さい時から育てているのでかわいくて仕方ない
だからつい甘やかしてしまった

わたしはプーちゃんの飼い主と一緒
これがカメでなく犬だったら
わたしはワガママな犬の飼い主になっていたことになる


愛することと甘やかすことは
意味が全然違うんだと知った


このことをこれからも忘れてはいけないと思った
私より長生きするだろうこのカメと
末永く付き合っていきたい



* * * * *

2014年6月18日水曜日

「 英会話 」


そういえば私は高校生の時
駅前留学のNOVAに通ったことがあった。

たしか、まずは一年通ってみようとして
自分で貯めたバイト代から10万位払ったような気がする。


あの時の私は人生最大の空回りをしていた。

なぜ英会話を習おうと思ったのか覚えていないけど、
フレンドリーな環境でのグループレッスンが苦手で
結局3回通って後のレッスンはさぼってしまった。
10万を捨ててもいいから、どうしても行きたくないと思ったことを覚えている。



10万払って覚えた会話は1つ。


「 Where are you from ? 」

外国の方に、出身(出身国)はどちらですか?と聞く時に使う。


このセリフ、何かの場面で実際に使ってみたことがあったけど、
英語がしゃべれると思われ、その後も会話が続いてしまい
あたふたしたのでそれからもう使っていない。




突然なぜNOVAのことを思い出したのだろう。



あの時私は、自分に投資し損ねた。

空回りしている空っぽな自分に、
何か身になるものを入れたかったのだと思う。



昔から、頭で「こうしよう」と思って行動するとうまくいかなかった。

いつも何か直感的に感覚的に何となく「これな気がする」
と思った物事に対して、深く考えずに行動するとうまくいって来た。

でもその感覚が最近使えない。

鈍ってしまったのか、もう機能しないのか、まだその時ではないのか
どれも見えて来ない状況が長く長く続いている。

でも、「これな気がする」もたまたまこれまで
上手くいってきただけなのかもしれない。そんな気もする。





NOVAで水に流した10万は、
やっぱり10万も払ったのだから
10万分は通わなければならなかった。
どうしても嫌だから、でやめてはいけなかった。
そこな気がする。



そうか、先が見えない原因はそれな気がする。

そして「それ」をあやふやにしなければ、「これな気がする」。






* * * * *


I do not speak English

But I wont to be able to speak English

2014年6月14日土曜日

「 うな重 」


今日は暑い一日だった。

こんな日は、外でただ突っ立っているだけでも普段の倍疲れる。
少し遅いお昼に、うな重をごちそうになってしまった。

私はここ数年でうなぎの美味しさを知った。
それまでは、うなぎが食べたくなることも
うなぎを美味しいと思うこともなかったのだ。



うなぎと言えば、
子供の頃おばあちゃんの家に親戚一同が集まる時は
おばあちゃんが出前でうなぎをとってくれた。

親たちは「ほら、うなぎだよ〜!」と
嬉しそうに重箱を配っていたけど、うなぎが好きではなかった私は
たいていうなぎの半分は親か誰かにあげてタレごはんを食べていた。



今日、疲れた身体でうなぎを食べながら思ったことがあった。


あの時食べたうなぎは、親達のためだったんだと。


それは、大人達がうなぎを食べたくて
自分たちの為に頼んでいるという意味ではなく
おばあちゃんが親達にごちそうしてやろう
という気持ちを込めてのうな重だったんだ、と。


おばあちゃんちに親戚が集まるときは、
孫と親達を合わせて総勢15名以上はいつも集まっていた。
大人になって、うなぎの値段を知って初めて分かるけど、
その全員にうなぎを振る舞うというのは相当な出費だったに違いない。


それでも、親達の疲れた身体にうなぎでスタミナをつけさせようと、
おばあちゃんは奮発してくれていたのではないか。だから毎回うなぎだった。

そういうことだったんじゃないかと思った。


もしそうでなかったとしても、子供が食べるうな重の味と
日々疲れ消耗している大人たちが食べるうな重の味は格段に違ったはずだ。


うな重の美味しさを知り、自分もあの時の親の年に
少しづつ近づいているのだと、じわじわ実感している。




* * * * *

2014年6月10日火曜日

「 叙々苑 焼き肉のタレ 」


その日は急に焼き肉丼が食べたくなった。

炊きたてのご飯にお肉をのせて、
白髪葱をたくさんのっけたやつが頭に浮かんだ。


さっそくスーパーへ行った。
運良くその日はお肉のセールをしていて
いい牛肉が半額で手に入った。



タレを叙々苑の焼き肉のタレにした。
焼き肉のタレの相場はだいたい200円〜500円で
叙々苑のタレは1位2位を争うお値段だった。

お肉が半額浮いたこともあり、
ビンボーなくせに奮発してしまった。

お店の叙々苑には、人生で二回だけ行ったことがあるけど、
お肉の味もタレの違いも分からない年だったので記憶は無いに等しい。
でもイメージは、高くて旨くて歌舞伎役者の海老蔵がよく行く店という感じ。



家に帰り、肉を焼いた。
焼いた肉に叙々苑のタレをケチらずにかけた。
炊きたてのご飯にそのお肉と、白髪葱をたっぷりのせ焼き肉丼が完成した。


これまで私は焼き肉のタレをあまり買ったことがなかった、
だから正直、叙々苑のタレが200円のタレとどう違うのか分からなかった。
でも食べたいときに食べれた焼き肉丼は、かなり美味しく気持ちは満たされた。




私は牛肉を食べ慣れていないのだと思う。
牛肉ならなんでも美味しいと思ってしまう。

牛肉の美味しさは、スジがあるかないかぐらいしか気にならず、
その他の部分の美味しさの違いなんてたぶん分からない。
パサパサでも固くても牛肉なら好き。

だから先日の焼き肉丼も、牛肉だったから美味しかった。
そこに叙々苑のタレがどう絡もうが私の舌は
牛肉が食べれたことですでに満足していたのかもしれない。





しかし数日後、叙々苑のタレの威力を知ることとなった…



何となく焼いた豚肉に、
何となくこの前の焼き肉丼であまった叙々苑のタレをかけてみた。
何となく食べていると、豚肉が数十倍も美味しくなっていることに気がつく。


うっまい!


これなら豚肉で焼き肉丼が出来てしまう!
っと思えるくらい美味しかった。


さすが叙々苑!!
と思った瞬間だった。


次は、鳥肉で試してみようと思った。



* * * * *

「 我慢比べ 」


相変わらず、カメがエサを食べない

エサの時間になっても寄ってこない

カメの水槽に食べなかったエサが残る

私の心にズキんとまたしこりが増える



* * * * *

2014年6月8日日曜日

「 アジサイ 」




寒い日に、ちょうどいい上着を引っぱり出さないで
その季節の服でやせ我慢して過ごしてしまうように

雨の日にくつ下が濡れてしまうことを
しょうがないことだと思って過ごしてきた



長靴を買った。

自分で買ったのは人生初めてだ





長靴があると雨の日でも外に出たくなる
憂鬱もこれまでの雨の日より数倍も小さくなる
水たまりの中を歩いてもくつ下が濡れない


そして長靴を履いて出かけると
ゆっくりアジサイを眺められる余裕が出来る

長靴のおかげで今年の梅雨は楽しめそうだ


* * * * *

2014年6月6日金曜日

「 ワガママになったカメ 」


カメを飼って一年が経った。

一年前は5センチくらいの大きさだったのに、
今はその倍以上で、甲羅も立派に成長した。

飼い始めは人間にビクビクしていたけど、
すぐに懐き、水槽をのぞけば寄ってくるようになった。

水槽は三日に一回洗っている。

新しい水だと気持ちがいいのか、
すぐに大きなウンコをする。



うちのカメは元々暖かい場所で暮らすカメだそうだ。
なので暑さに強く寒さには弱い。
冬眠はしないので一年中エサも食べると聞いていた。


しかし飼いたての、まだ身体の小さかったころ
寒い日はエサを食べなくなり、あまり動かなくもなってしまった。

心配で心配で、毎晩のように夢にカメが出てきた。

ネットで色々調べ、水槽にヒーターを入れることにした。
そしたらエサもよく食べ、よく動くようになった。




私のカメはかわいい。

エサを食べている姿も歩いている姿も、
水槽でひっくり返っているのも寝ている顔も。
洗ったばかりの水槽にウンコをされてもかわいい。



だいぶ大きくなったので、
最近市販のカメのエサ以外に、ハムやちくわをあげていた。
飛びつくように喜んで食べているのが分かる。
美味しそうに食べる姿は見ていて私もうれしくなる。



でも、そうするようになってから
市販のカメのエサを後回しにするようになった。
市販のエサには見向きもしない。

なので、市販のエサを食べてから
美味しいものをあげるようにすることにした。


始めのうちは、
美味しいエサ よこせっ よこせっ とバタバタするけど、
次第にあきらめて、市販のエサを食べていた。



でも、だんだんとカメもその流れが分かってきたのか、
市販のエサを食べているようで食べたフリをするようになった。
このヤロウと思いながらも、こちらもずっとはかまっていられないので
あまり気にしていなかった。


でも最近になって、市販のエサを明らかに食べないで残すようになってしまった。
そして、美味しいエサをくれるまでプイっとするようになったのだ。



その顔は本当にスネている。

「わたし、こんなもの食べたくない ふんっ」と顔が言っている。

話しかけてもそっぽを向く。



私は今まで動物の感情をこういう風に感じたことがなかった。
実家でもカメは飼っていたけど、私が世話をしているわけではなかった。
同じカメでも、自分が飼いたくて飼ったカメは実家のカメとは違った。



このままでは、ワガママなカメになってしまう。
そう思い、美味しいエサをあげないことにした。
ちゃんとまた普通のエサを残さず食べるようになったら
他のものをあげよう。そう心を鬼にすることにした。


美味しいエサをあげなくなって今日で三日目。

市販のエサを相変わらず食べずに残している。


エサの時間になると、
美味しいエサ よこせっ よこせっ といつも以上に暴れる。
日に日に暴れ具合はエスカレートしているように思う。


エサの時間が1時間も2時間も過ぎると、
「どうしてくれないの?」という顔をしている。
この時いちばん胸がぎゅっとする。
ワガママにさせたのは、飼い主のわたしなのに、ごめんねと思う。



スネた顔に「おやすみ」を言い、そして朝に「おはよう」と言う。

その時こころの中で「だいすきだよ」っと言いながら。




* * * * *

2014年6月5日木曜日

「 富士山の頂上 」


富士山好きの私にとって、
富士山に関するニュースは気になってしまう。


昨日、富士山頂の住所は静岡県?という記事を読んだ。
もしかして、日本の中でも竹島のような問題が起きているの?
と気になって記事を読み進めると、どうやらそうではないようだった。

静岡県と山梨県知事の間では、山頂は県境を定めず
一緒に富士山を守っていきましょうね、という話がついていたそうだ。
こういう白黒はっきりつけないで温和に事をまとめようとする姿に
私は日本人としてほっとする。


にも関わらず、国土地理院が公開している電子地図だと
富士山頂は静岡県と表示されてしまうそうだ。
これに関して山梨県側が「この表示は不適切だ」と言ったとの記事だった。



物事をはっきりさせることは、
人間社会の中で生まれた、生きていく上で必要なルールなのだと思う。

はっきりしないが為に、責任のなすり付け合いが起きたり、
無法地帯のやりたい放題になってしまったりするから。



世界遺産にも登録され、さらに日本のシンボルとなっていく富士山。
その山頂を取り合ったり、半分こにしようとしたりしないで欲しい。
そういうのは日本人としてみっともない。


静岡県と山梨県が見守ってくれると言ってくれている。

富士山頂は何県?と、もし外国の方に質問されたら
「日本の山ですよ」と言えるような日本人でいたい。

ずっしりとした富士山のように。




* * * * *

2014年6月3日火曜日

「 健康スリッパのごみ 」



子供の頃、健康スリッパの間に溜まったごみを竹串で取っていた



その時母に「あんた、そういうのほんと好きね」と
言われたことを覚えている

そういうの好きね、の “そういうの” が
どういうものを指していたのかあの頃の自分に自覚はなかった




しかし最近、そうして生きてきた私の集大成が
具体的に見えてきた気がする



例えば、洗濯機についているごみとりネットのごみは
まめにすてるのではなく、なるべく溜めて捨てる
それを捨てる瞬間のあの感じ


また例えば、夏の終わりの扇風機をしまう前
ひと夏分の溜まったホコリを取り除き
きれいになった扇風機に袋をかぶせようとする前の
きれいな扇風機を眺めている瞬間


そして身近なことで言えば、
靴下の毛玉を、まずは片足だけ取りのぞき
毛玉付きと毛玉無しを見比べて「おー」と言っている瞬間


これらの時、私は身体の内側から沸き出す何かに浸っている





まー、これを今後も続けるかどうかについては…

ハーフハーフですけどね


* * * * *

「 グレーの靴 」


去年、色が気に入って青い靴を買った

きれいな青は一年で色あせてしまった

新しい靴が欲しいと思ってネットで探していた



グレーのかわいい靴を見つけた

これいいな と思って目をつけていた



色あせた青い靴をはいた

色あせて青がグレーになっていることに気がついた

この靴は、グレーの靴だ と思って履くことにした



* * * * *

2014年5月30日金曜日

「 角と失態 」



近頃「角がたたない」と「失態」という言葉を頭の中で巡らせていた。


どうすれば、角がたたない言い方ができるだろうか。
仕事の場面でそれを考えることは多いと思う。
でも日常の中でもこれは大切なことなんだと思う。

角は自分の中の問題で、言葉自体にあるものではない。
感情のまま言葉に発していたら角も刺も出てきてしまう。
角を立てないために、頭を使って言葉を選び、
腹黒さでコーティングして色も形も整えてあげる必要がある。

でもそれには余裕が必要で、いつも私は後の祭り。
とっさに角は立ち、刺を放つ。


 * * *


「わたし、失態を犯しました」自分でそう言って、
失態という言葉を覚えた高校生の時のことを思い出していた。

人生初めての仕事は高校1年生の時で、私はファミレスでアルバイトをしていた。
私はとにかく要領が悪く、一通りの失敗を経験しないと仕事を覚えられなかった。


一歳年上の男の先輩がいた。
頭のいい私立高校に通っていると聞いた。
そいつはいつもサラサラの前髪をかきあげて話をする。
キザとは違うけど、自信にあふれた格好つけだった。
それでも愛嬌があって、みんなに下の名前で呼ばれ可愛がられているのがわかった。

また私が何か失敗をしてしまった時だった。

「失態しちゃったの?」そいつが言った。
「失態ってなんですか?」私は失態の言葉の意味を知らなかった。
「失敗ってことだよ」とそいつは言う。
「なら、失敗って言えばいいじゃないですか」私は度重なる自分の失敗にヤケクソになっていた。

「失敗って言うとあーってなるけど、失態って言えばそんなにそんなでしょ?」
具体的になんて言っていたか忘れちゃったけど、そんなことを言っていた。
この時の私は「ケッ」っと思っていた。


でも今やっと、自分が「失態」という言葉を使う時に、
失敗を受け入れつつ、オブラートに受け止められることを理解した。




全く別々の場面で考えていた「角」と「失態」だったけど
どちらも「優しさ」つながりで、心のどこかに落っこった。





* * * * *

2014年5月25日日曜日

「 トマト好き 」



最近わたしはトマトが好きになって、分かったことがひとつある。


これまで私は、トマト好きな友達を家にお招きする時
トマトを使った料理を用意するようにしていた。

ある時は、トマトカレーやトマトソースのパスタ
またある時は、鶏肉のトマト煮込み など


でも、トマト好きの人って、
トマト味の食べ物が好きというよりも
トマトをトマトとして食べるのが好きなんじゃないか。
と思った。


それは、近ごろ自分が無性にトマトが食べたくなって
トマトジュースも美味しいんだけど、やっぱり生のトマトが食べたくて
トマトならなんでも良くて、ミニトマトでも大っきいトマトでも生で食べれれば満足で
切ったトマトより、丸ごとかじる方が美味しくて
甘いトマトにあたった時なんかは、トマトってやっぱ美味いなって改めて思う。


去年ミニトマトの苗を買って育てたら、それはそれはたくさん穫れた。
その時、98円の赤いミニトマトの苗と、298円の黄色いミニトマトの苗を買った。
どちらもたっくさん採れたけど、高い苗の方が甘さが格段に違っていた。

だから今年の苗は奮発して、498円の赤と黄色の苗を一本づつ買った。

ミニトマトは植える前に、土にちゃんと肥料をあげていれば
後はマメにお世話をしなくても、勝手にたくさん実ってくれる。
去年の夏は、スーパーでトマトを買うことがなかった程の収穫だった。




今年、美味しいミニトマトが採れたら
トマト好きの友達に食べさせよう。

そして、ミニトマトをほおばりながら
トマト好きの真相を解明しようではないか。


10 0 10




* * * * *

2014年5月24日土曜日

「 ひとつの過ち 」


たったひとつの過ちで、
取り返しのつかない事態を起こしてしまうことがある。

あの時、どこで判断を間違えたんだろう。

楽しかった時間も、うかれていた自分も
今のわたしから見ればただのバカ野郎。

この時着ていたお気に入りの服は
もう着れないかもしれない。

まったく、何もかもが台無しになった。

そして最後に残ったのは、
思い出すだけで吐き気を催す胸やけだった。



  * * * * *



レシピを見ながらその通りに
“豆腐とシーチキンで出来るチキンナゲット”を作った。

豆腐の水分を抜き、材料と良くまぜ合わせ
油であげれば簡単にたっくさん出来てしまうという内容だった。

はじめて作る料理は、上手くできるか不安もあるけど
どちらかというと楽しさの方が大きい。
豆腐とシーチキンで出来るのであれば、ヘルシーで身体にもいいね!
と思って作っていった。


ところが、
これを油に落とした瞬間に私は何か間違いを犯していることに気がついた。
確かに混ぜている時から、たねがこんなに緩いけどナゲットになるのかしら?と
意識しない範囲で思っていた。それに気づかないくらい気分はノリノリだった。

まとまることを知らない物体は、油の上に果てしなく広がり
かろうじて薄っぺらくつながっていた。
あまりにも薄いナゲットになってしまうと思ったので、
継ぎ足しをしてなんとか厚みを出した。


分厚く大きく広がった物体。
これをひっくり返そうとした時、重くて何度も失敗し
えらい油しぶきを浴びてしまった。
キッチン周りも洋服もギトギトになった。

何とか液体を全て使い切り一段落終えた後、レシピをもう一度読み返してみた。
レシピに書かれた通りに作れてはいた、でも材料に豆腐一丁と書かれており
この出来上がった物体を見つめながら、きっとこれは木綿豆腐一丁だったのだ。

そう思った。


わたしが使ったのは、絹。




冷蔵庫の中で、たくさんのナゲットが
静かに出番を待っている。

この、思い出し胸やけが収まったら、
美味しく生まれ変わらせてあげるから、約束する。

でも、その前に
冷凍庫行きかな。

* * * * *

2014年5月23日金曜日

「 靴下の終わり 」


私にとって靴下は、洋服類の中で一番付き合いの短い存在です。
それは、わたしがぎりぎりの枚数しか持ち合わせておらず
かなりの頻度でローテーションしているからなのかもしれませんが。


それでもわたしは物持ちがいい方だと思うので、
その靴下の終わりがくるまでちゃんと履きます。

最近は、毛玉取り機も持ち備えているので、
冬用の靴下なんかは毛玉を取ってあげると、買った頃のように蘇ります。


親指に穴があいたら何度か縫い合わせます。
かかとが網戸のようになっても捨てません。
お気に入りの靴下だった場合は、
足の先がダメになっても、切って切れ目を縫って
レッグウォーマーにしてズボンの下に履いたりしています。


そして、その靴下の本当の終わりが来た時
わたしは綺麗な状態の靴下に右手を入れ、
ホコリまみれになるまで部屋のお掃除に使います。


こうすると、悔いなく靴下とお別れすることができます。
この靴下の終わり方が、私はわりと気に入っています。




昔、旅先の民宿にお気に入りの靴下を
片っぽ落として帰ってしまったことがありました。


あのこは、あれからどうなったんだろう。
まだ履けた靴下だったけど、片っぽでは捨てられてしまう。

アーメン。




* * * * *

「 煮魚について 」


食べ物の好き嫌いはない。
けど、好んで食べないのが煮魚だった。
理由は、煮てあるより焼いてある魚の方が好きだから。
煮るなら焼いて食わせろ!と、どんな魚に対しても思っていた。

外食したとき、自分から煮魚を頼むことはなく
食卓に煮魚が出されても、心の底から「ぅわ〜い!」と思うこともなかった。


のだけど突然、煮魚の美味しさが分かる日が来た。
その日食べたのはカレイの煮魚。
煮魚の美味しさは、白いごはんに良く合うところだと知った。
ごはんが、すすむ、すすむ。
焼き魚では味わったことのない、白いごはんとのシャルウィーダンス。

あの魚も煮たい!この魚も煮たい!煮たい煮たい煮たい!


煮魚って、ほんと〜に素晴らしいですね。


* * * * *

2014年5月21日水曜日

「 バ ラ 」


5月はバラの季節だったんだ。

これまでバラの見頃がいつなのか、意識したことがなかった。
バラ園の近くに住んでいたとき、散歩しにいったこともあったのに。


外を歩いていると、畑や玄関や庭でバラが満開に咲いている。
見たことのない色や種類がいっぱいあるんだなーと思う。


畑に咲いているバラも、庭でアーチ状に咲いているバラも
どっちも綺麗だけど印象が変わる。


家主さんに大事に大事にお手入れされているバラは、
見ていて「きれいね〜」と言ってしまう。

畑に咲いているバラは「あ、バラだ」って感じ。


うちの実家にも真っ赤なバラが咲いていた。
そのバラは、昔父が母にプレゼントしたバラを
母が挿し木にして育てたものだと聞いた。


母なりにお手入れはしていたのだと思うけど、
ロマンチックなエピソードとは裏腹に、いつも満開の時期は伸びに伸びまくり
イバラ姫のお話に出てきそうな雰囲気を醸し出していた。


いつも歩いている道の途中に、自分の好きな色のバラが咲いている。
赤でもなく、ピンクでもなく、黄色っぽいオレンジのような薄ピンク色のバラ。

携帯の待ち受けにしたいと思ってこっそり写真を撮ってみた。
綺麗には撮れたのだけど、本物の色と違う。

写真にするといつも思うのが、
見ている物のまんま撮れないなーということ。
今、この見た感じで撮りたいのに撮れない。
トリミングが下手だったり、センスがないってのもあるんだけど。


どんなに綺麗に写るカメラでも、
自然の美しさを写真に撮ることはできないと思っている。
このバラを見た時の感動の大きさは、写真に撮ると少なからず半減してしまう。

だからいつも思う。

今しか見れないものは、今見ておこう。

そう思うと、来年の5月に楽しみが増える。



* * * * *

2014年5月17日土曜日

「 落花生の皮 」


落花生の薄皮に栄養があるなんて、
知らなくて当たり前のようにむいていた。


相手の心の内を読みとり言葉をかける人がいて、
何も知らないでその言葉を口にしていた自分の空っぽさを感じた。



「あんまり食べると鼻血が出るわよ」
 落花生を食べると母は言った。

「自分の言葉でしゃべりなさい」
 これは昔母に言われた言葉。


そんなことを考えてたら、
お風呂上がりに鼻血がたれた。



* * * * *

2014年5月15日木曜日

「 難しいことはない 」

どうしても、自分の苦手なことに対して
やる前から出来ないと決めつけてしまう所がある。


苦手な物の一つに、“ネットワーク環境のトラブル”がある。
ネットがつながらなくなった時、必要以上に拒絶反応が出てしまう。


それは、10年くらい前に、初めて自宅でネットをつなげようとした時
ヤフーのことをヤホーと読むくらい無知だった私はえらい四苦八苦をし
サービスセンターに何度もお世話になった体験があるから。


あれから技術も進歩して、現在ではパソコンが勝手に家のネットワークを探して
この中にありますか?と聞いてくれ、パスワードだけ設定すればすぐに使える。
あー、有り難いなぁと心底思っていた。



ところが昨年末、今よりネットと携帯が安くなると言われ
ネット回線を携帯と同じ会社に変えたのがことの発端だった。

これまで、無線の快適ライフを過ごしていたのに
携帯とパソコンが同時に上手くつながらなくなってしまった。

ネットで調べて、色々やってみたけど、結局出来ないままだった。

むかつくけど、自分にはどうしようも出来なくて
昔使っていたLANケーブルをひっぱり出し、
ケーブルをつけたり外したりの生活を半年過ごしていた。


でも実は、薄々原因は分かっていた。
ただ10年前のトラウマが蘇ってしまい、見ないフリをしていた。



これではいけないと、いつも思っているのだけど逃げてしまう。
こんな自分はいやだなと、何度も何度も思っていた。

いやなら直せばいい!そう言う自分と、出来ないままの自分がいた。
でも、ここから抜け出すための“作戦”も同時に考えていた。


どこかに突破口を見つけないと、
小さな悩みでも抜け出せないことがある。
“作戦”という名でずっと出口を探していた。


私の作戦はこうだ、
一気にやろうとすると吐き気がするので、
一日一歩、三日で三歩作戦でいこうと。



二日前、無線LANを買った時についてきた説明書を読んだ。
30分もかからないで、要点をつかめた気がした。

昨日、何もしなかった。

今日、説明書の通りに操作してやってみた。

できた。




苦手なことに対して、
やる前から出来ないと決めつけてしまう自分は
直せないと思う。


それはそれでいい。


でも、今回の作戦を実行し
成功した自分にはこの言葉を送ろう。


グッ ジョブ




* * * * *

2014年5月14日水曜日

「 小さいティッシュ 」


時々、ちいさいティッシュがあったらなーと思う。

それは、ポケットティッシュとは意味合いが異なり
広げたときの大きさが、通常に対して4分の1くらいがいい。


現在の大きさのティッシュを使っていて、
もったいないと思う時がある。

それは、
ちいさい汚れを取るときや、ちいさい虫をつぶすときや
最後の方の鼻をかむときそう思う。


割り箸のように、本来捨てる部分を利用して出来るのなら
ちいさいティッシュを作って欲しいなと思う。

でも紙などと一緒で、わざわざ規定外のサイズを作るとなると
無駄が出てしまう場合があるのでそれはして欲しくない。




ちいさいティッシュがない現在、
わたしはティッシュを少しだけ使いたいとき、
ケースに入ったままのティッシュの端をちぎって使う。


ecoね。


* * * * * *

2014年5月13日火曜日

「 ところてん 」



うちの父は糖尿病で、
夏、家の冷蔵庫にはいつもところてんがあった。
カロリーの少ないところてんは、父の夕飯のおかずの一品だった。

父がズルズルっと音を立てて食べている。
わたしはテレビを見ながらその音を聞いていた。

大抵ガマンができなくなり、わたしは母に「ところてん食べていい?」と聞く。
こうして子供の頃の私は、食後によくところてんを食べていた。
糖尿の父は「こんな味のないもの美味しくないよ」と言っていたけど、
父のその音を聞いて食べるところてんは美味しくて、
いつの間にかわたしの中で夏の味となっていったのだと思う。


父は何を食べても美味しそうに、そして大事そうに食べる。
それは、糖尿で食事が限られているからなのか、
昔貧乏で食べれないことを経験したためなのか分からないけど。
そして食後に必ず父は「 ん〜〜〜 おいしかったっ 」と言った。




今日も昼間は気温が上がった。

そんな中スーパーでところてんを見かけ、
父のことを思い出し無性に食べたくなってしまった。
明日買いに行って、冷蔵庫で冷やしておこう。
そして夕飯の食後に食べよう、カラシをうんときかせてね。



* * * * *

2014年5月8日木曜日

「 UNKO 」


わたしのお腹はすぐにゆるくなる方で
食べ過ぎたりいつもと違う時間にご飯を食べるとお腹が痛くなる
寝不足だとお腹にガスが溜まりこれも辛い
こういう痛みは日常茶飯事で起こっているけど
出ない辛さはあまり経験したことがない



先日、人生で初めてハンバーグヘルパーを使ってハンバーグを作った
ひき肉と水(または牛乳)があればハンバーグが出来てしまう
これまでハンバーグは手間ひまかける割にはあまり上手に出来たことがなかった
こねれば出来てしまうハンバーグヘルパーに少し抵抗を感じながらも
ハンバーグヘルパーワールドに足を踏み入れた

焼き上がったハンバーグには、市販のデミグラスソースをかけて食べた
ハンバーグ屋さんのハンバーグとは違う旨さがある
肉肉しすぎていないところが逆に旨い
はっきりいって、美味しい


ハンバーグヘルパーワールドは、
大人になってから行くデパートの屋上の遊園地のようだった
私は子供の頃、そういうところへ連れて行ってもらった記憶はない
そして、このハンバーグも子供の頃に食べたことのない味だった


美味しいものには余韻が残る
わたしは何度も何度も“美味しかったなぁ”と心の中でつぶやいた




しばらくしてトイレに行きたくなった
そして、つるんと素晴らしいうんこをした



美味しいものを食べて余韻に浸り
いいうんこをしてすっきりする
何も形に残らないこれを わたしは幸せだと思った



* * * * *

2014年5月2日金曜日

「 やさしい犬 」


いつも家の近くで、犬を連れたおじいさんを見かける

おじいさんはいつも、おちおちゆっくり散歩している

おじいさんが連れている犬も同じようにおちおち歩く

あの犬も、おじいさんなんだなと思って見ていた



ある日、おじいさんがいつも連れている犬にそっくりな犬を見た

その犬は、飼い主さんと同じように軽快に歩いている



それにしても、あの犬にそっくりだなと思いしばらく観察していると

その飼い主さんと犬は、おじいさんが住んでいる家に入っていった

その犬はおじいさんの犬だった、いつも見かけていたおちおち歩く犬だった



あんなに軽快に歩けるなんて…いやそうではない

おちおち歩くことが出来る賢い犬だなと思った




* * * * *

2014年4月24日木曜日

「 ユカちゃん 」


高校の時、同じクラスにユカちゃんという子がいた。
入学当時ユカちゃんは、長い黒髪の真面目そうな女の子だった。
ユカちゃんは夏を境にギャルへと進化した。

あの頃のギャルといえば顔グロ(ガングロ)が流行っていたので、
濃いめのファンデーションを顔に塗り、白のコンシーラーを唇に塗っていた。

ユカちゃんは誰とでも話す気さくで明るい性格で、
ユカちゃんの席が私の真ん前だった時ちょくちょく話をするようになった。


夏が近づくに連れ、ユカちゃんは学校を遅刻するようになっていった。

ある日、ユカちゃんはいつものように休み時間にやってきた。

しかし、髪型が明らかにおかしかった。

片方の横髪だけ異様に短くなっていたのだ。

ユカちゃんに「どうしたの?」と聞くと、笑いながらこう言った。


 昨日の夜、夜中まで遊んで帰ったら、
 親に殴られ上に乗っかって髪を切られた と



その夜の凄まじい状況が伝わってきた。
片方の髪を掴まれ、そのままバッサリハサミで切られたようだ。


しかし、ユカちゃんは笑っていた。
そして何日も、ユカちゃんはその頭で学校に登校していた。


ユカちゃんは、箱入り娘だったのだと思う。
親が娘の上に乗っかり、長かった髪を切るなんて、
相当のことがない限りしないと思うから。
それまで親の言うことをちゃんと聞いてきたのだろう。




長く伸ばした髪を切られ、それが親離れの儀式になったのか
ユカちゃんは、何かが弾けたかのように顔グロギャルに生まれ変わっていった。



顔グロになって、見かけは変わったけど、
ユカちゃんの気さくで明るい性格は何も変わらなかった。
そしてとても楽しそうでいつも明るく輝いていた。


髪を切られたあの日、
笑いながら話していたユカちゃんの笑顔を今でも時々思い出す。



* * * * *


「 だいじょうぶ 」


小学生の時、友だちとの間でいざこざがあった。

わたしは「○○ちゃんなら大丈夫だよ」と言った。
そしたら、別の友だちに「何が大丈夫なんだ?」と攻められた。

軽い気持ちで「大丈夫だよ」と言った自分。

攻められたけど、否定されるのが嫌だった私は
それでも大丈夫だと言い通した覚えがある。


大人になってから、
私は自分に対して「大丈夫」と思いたい時
「大丈夫」とは思わないようにしている。
それは油断することになってしまうから。


でも、人から「だいじょうぶだよ」
と言ってもらうことは嫌じゃない。
むしろ安心する。

人に言ってもらう「だいじょうぶだよ」と
自分が「大丈夫」と思うことは別物のように思う。



しかし、小学生の時「何が大丈夫なんだ?」と攻められ
それに反発した自分は、いただけないと思った。




* * * * *

2014年4月23日水曜日

「 私の高野豆腐の思い出 」


子供の頃、友達の家へ泊まりに行った時
夕飯に手巻き寿司を出してくれた

その中身の具の一つに高野豆腐があった
高野豆腐をそうして食べるのは初めてで
その美味しさに驚いた思い出がある

高野豆腐は、ごはんにも酢めしにもよく合う




自分で高野豆腐を煮てみたら
とても簡単に出来た
わたしは少し甘めが好き


そして高野豆腐を食べると、必ずあの日の手巻き寿司を思い出す
高野豆腐に感動した部分だけ、一枚の写真のように、その部分だけ


他の具材が何だったのか、私はひとつも覚えていない
もしもあの時、高野豆腐がなかったら
あの日の夕飯が手巻きだったことも忘れていたかもしれない



高野豆腐を食べる度、何度でもあの日の手巻き寿司を思い出す




* * * * *

2014年4月18日金曜日

「 宝物箱 」


いつか捨てるのだと思うけど、
引っ越しを重ねるごとに捨てられない物が集まった宝物箱ができていた。

その宝物箱の中には、買ってもらった物はトトロの小銭入れだけで
あとは手紙や手作りのカードや手作りのお守りが入っている。


心は見えないものなのに、何十年も捨てられないでとっておいた物が
まるでそのとき頂いた心が形になっているかのように此処に残っている。


物なら捨てられるけど、頂いた心はいつになっても捨てられない。


でもこれは、私にとってはその時々に頂いた心だけど
全く知らない人にとってはゴミに見えるだろうから
自分の魂がなくなる時、私の事を全く知らない人に
捨ててもらいたいなぁと思う。


これを捨てる時って、いつなんだろう。
って考えていたら、そういう答えが出たのでした。


* * * * *

2014年4月16日水曜日

「 紗栄子 」


ネットの何かで紗栄子のインタビューを読んだ。

その中に、美容の為にやっていることで
“化粧水を一週間で一本使い切るようにしている”
といった内容が書かれていた。

写真家の蜷川実花さんも言っていたのだけど、
紗栄子はお肌が透き通るように綺麗だそうだ。

化粧水を一週間で一本使い切るということが、
そう簡単なことではないことは女性なら分かると思う。
紗栄子は身体にも化粧水を使うと書いてあった。





私は昔から肌トラブルが多い。
季節の変わり目やストレスで肌が荒れしてしまう。
お肌が白くてつるつるしている人を見るとうらやましくなる。


でも、この記事を読んでハッとした。
私は化粧水も乳液も、とにかくケチって使っていた。
1000円もしない化粧水を半年は保たせている。





お風呂上がりに“紗栄子一週間に一本”が頭をよぎる。

この日を境に、私は化粧水をケチるのをやめた。


* * * * *




2014年4月15日火曜日

「 向き 」

私は植物を飾るとき向きを大事にしている。


その植物が素敵に見える場所に置き、
現状の伸び具合で一番いい向きが正面に見えるように置く。


そうすると、
自然と人間の目から「素敵ねっ」という気持ちがこぼれ
植物は、さらに成長する気がする。


玄関で育てているアイビーが、
暖かくなり一気に新しい芽を出した。

くるんと向きを変えてみると、
今まで私が見ていた姿とは反対側の方が生き生きとしていた。


植物は人間のことなんてどーでもよくて、
ただお日様を浴びたいだけ。

そう思った。




















* * * * *

2014年4月11日金曜日

「 歯磨き 」


最近歯医者へ通うようになった。

昨年も通っていたけど、一回予約した日を忘れすっぽかしてしまった。
それから長いこと時が経ってしまっていた。

すっぽかしたことに気づいたのは、予約日から数日のことだった。
謝罪の電話を入れようか迷ったけど、うやむやにして過ごしてしまった。

それがずっと心に引っかかっていて、
自分の中には二つ選択肢が出来ていた。


 一つは、別の歯医者へいく

 もう一つは、次行った時に先生に謝る


長い事、この選択肢の間を行ったり来たりしていた。



ある日、目視でも分かるくらい
虫歯が広がっていることに気がついた。

これはまずいと思った。
そして遂に選択の時が来た。




私はすっぽかした歯医者さんにもう一度予約を入れた。

久しぶりに会う先生に「その後いかがですか?」と聞かれた。
私は開口第一声「前回予約を忘れてすみませんでした…」と言った。
先生は「はい」とだけ言って、歯の症状を聞いてきた。
長い事悩んでいた塊は砕けばらばらになってどこかへ消えていった。



先生が、
次回歯のクリーニング(歯石取り)をするので
こうやって歯を磨いて下さいね。
と丁寧に歯の磨き方を教えてくれた。


その磨き方は、過去に何度か
どこかの歯医者さんで教えられたものだった。


いつもは適当に聞き流していたのに、
今回はちゃんと聞いている自分がいた。
予約をすっぽかした私。
それでも親切に教えてくれる先生。
感謝して真面目に話を聞いた。


先生は、もちろん仕事だから
ただ仕事をしているだけなのは分かっている。

それでも、私は嬉しかった。


次の治療まで一週間。
わたしは三食毎回、これまで届いていなかった
歯と歯茎の間に歯ブラシをあて、その痛痒さに喜びを感じている。



* * * * *

2014年4月10日木曜日

「 串 」


串に刺さっている食べ物にはなんだか惹かれてしまう。


一時期やきとりにハマったけど、やきとりは串で食べるから美味しい。
大人数でやきとりを頼むと、親切に串から外してくれる人もいるけど
わたしは串のまま食いつきたい派だ。


観光地などでよく売っているキュウリの一本漬けも、
キュウリがただ串に刺さっているだけなのに
歩きながら食べている人を見ると、必ず自分も食べたくなる。



屋台やサービスエリアでは、食べやすいように串に刺さっているものが多い。
それが普段どこにでも売っているようなものであっても、
串に刺さっているだけで、食べたい気持ちをそそる。
そして、たいして特別に美味しくなくても美味しく感じてしまうから不思議。
これもきっと串の効果に違いない。



いつも通っているスーパーに、タコ焼き串というのが売っていた。
串にタコ焼きが4つ刺さっている。
串に刺されたタコ焼きは、見た目がとてもかわいらしい。
ついその風貌に無駄に買いそうになったけど、ぐっとこらえた。


レジに並んでいる時、私の前に自分と同い年くらいの男性がいた。
その男性のカゴには、さっき見つけたタコ焼き串が2本入っている。
この人が食べるのかな?と思いレジを通されていく品物を見ていると、
どうやら独身ではなさそうで、お子さんがいるような内容だった。


きっと、子供がよろこぶと思ってタコ焼き串を選んだに違いない。
そう思って買っただろうその男性の優しさが、
私の胸のハートにぐっと刺さった。




ただの串 されど串


* * * * *

2014年4月9日水曜日

「 イカわた 」

イカわたのホイル焼きが美味しく出来た。
ネットで調べて、ベストなレシピを選んで作ってみた。

インターネットって本当に親切だと思う。
無料で沢山の情報が提供されている。

料理本も買わないですむし、
イカのさばき方も習いに行かないですむ。

お金を使わないでこんなに美味しい思いができるなんて。


インターネットが普及されて、
世の中は貧乏になってはいないのかな。

親切な人がたくさんいる裏側で、
食べて行けなくなるプロの人がたくさんいるんじゃないかな。




“美味しいイカわたの作り方を教えてくれてありがとう!”

という感謝の気持ちをどこの誰にも向けていない自分に気がついた。


自己満足同士で成り立っているネットの世界は
本当にこのままでいいのだろうか。

何らかのアクシデントで、地球に飛び交う電波が遮断されて
インターネットがどこの国でも使えなくなったら、
日本にも活気や本来のコミュニケーションが取り戻されるのではないかと思った。



便利なことをマイナスしていくと、沸き上がってくる大切なことがある。

テレビをやめて気がついた事。SNSをやめて気がついた事。
インターネットをやめたら気づく事、たくさんありそうだ。

でも、電話とネットは無くなると生活に支障が出てしまうのでやめないけど。



ネットの中のどこかの誰かさまへ
あなたのおかげで美味しいイカわたホイル焼きが出来ました。
ありがとうございます。

* * * * *

2014年4月6日日曜日

「 サ イ 」


どこかの家で山椒の若葉がたくさん芽を出していた。
黄緑色がとてもきれいで美味しそうだった。
山椒には棘があるのだけど、棘を見ていて思い出した。


子供の頃、バラの花の棘を取りツバを付けて鼻の頭にのせ
「サイ」と言ってあそんだ。


「サイ」をして遊んだ時間を思い出すと、
今の自分がすごいつまらない人間になってしまったような気がしてしまう。

じゃぁまた「サイ」をしてみればいいのか?
といったらそこには違和感がある。


そうじゃなくって、
昔にばかり捕われているのでもなくって
新たな「歳」を見つけて行きたい。


* * * * *

2014年4月2日水曜日

「 テロテロのシャツ 」


もう、10年くらい着ているシャツがある。

テロテロでのびのびなんだけど、
肌触りがとても気持ちよくパジャマやインナーなど見えないところで着ている。


昔、母のババシャツがボロボロだったので
「捨てないの?」と聞いたことがあった。
母は「この方が着やすくていいのよ」と言っていたけど、
わたしはその時、「うちは貧乏だからなぁ」と思っていた。


でも、今は母の気持ちが分かる。

肌に触れる服は、テロテロでのびのびがいい。
テロテロになってやっと気持ちのいい肌触りになる。


わたしのシャツは穴が空いてきてるけど、
やっとこの気持ちのよい肌触りを手に入れたので
本当に本当に着れなくなるまで捨てない。



子供の頃は「うちは貧乏だからなぁ」と思うことが沢山あった。

物も食べ物も、必要な分はあったけど、
余計な事はしないし、余計な物もなかったように思う。

大人になり、段々その暮らしが立派なものだったのかもしれないと
思えるようになってきた。

そして、今こうやって思えるのは、
きっとうちの親が貧乏だからやっているという意識でなく、
それがいいと思ってやってきたからなんだと思った。



4月からの増税。

税抜き価格と税込み価格を見比べると少しゾッとするけど、
増税とともに心を倍豊かにして過ごしたいと思う。


* * * * * *

2014年3月28日金曜日

「 今夜の夕飯、何にしようかしら… 」






















* * * * *

「 パンチパーマ 」


わたしもいつか、パンチパーマをかける日が来るのだろうか。


今日、パンチパーマをかけた男性を見た。
おじさんとまではいかない、30代後半くらいではないかと思う。
作業着を着ていて、何か独り言を言っていたけど、
ギッチギチのパンチが良く似合っていた。

何年か前に“パーマネント野ばら”という映画を見た。
この映画には、パンチパーマの女性がいっぱい出てくる。
夏木マリもパンチをかけていてかっこ良く、似合っていた。


パンチパーマをかける時というのは、
どんなタイミングなんだろう。


だんだん、年を重ねる度に、どんな服を着たらいいのか、
どんな髪型をしたいのか分からなくなってくる。
分からないから、適当になってしまうのだけど、
できれば、年相応の似合う服や髪型をしたいと思う。



パンチパーマが似合うようになるのは何年後だろう。

20年後か、30年後か。

似合うように年をとっていたら、ぜひやってみたい。




* * * * *

2014年3月27日木曜日

「 ラーメンライス 」

もう、ラーメンライスを頼むことはないのかもしれない。
今はラーメン一杯でお腹が膨れてしまう。

ラーメンライスデビューをしたのは、二十代前半だった。
残業の多い仕事だったので、夜食でそれを食べていた。

ラーメンライスはお好み焼きライスやグラタンライスに比べメジャーだ。
これらはやった人にしか分からないハーモニーがあるのだと思う。

ラーメンライスに手を出すまで、
ラーメンとごはんを一緒に食べている人は食いしん坊で
ラーメンだけでは物足りないんだと思っていた。


でも、実際はそうではなかった。
ラーメンライスの魅力は、ラーメンを白いご飯にのっけて食べるわけでもなく、
ラーメンを食べた後に食べる白いご飯はただの白米なのに美味しい。
スープを飲んだ後に白いご飯を食べる。それも同じく美味しい。
餃子がなくても成り立つ組み合わせだった。



今はもう、ラーメンライスを長い事やっていないので、
過去の思い出の味となってしまった。
今食べてみても、あの美味しさを感じられるのか分からない。
美味しいと感じるにはタイミングも必要だから。

でも、もしかすると、ラーメンライスが食べられない理由は、
お腹が膨れてしまうからではないのかもしれない…



あの頃夜食で食べたラーメンライスは、
いっぱい食べて体力をつけて仕事をがんばろうと思ったからだった。
一人ラーメン屋に入り、気合いを入れて注文した記憶がある。


今、美味しい記憶として残っているということは、
あの味があの時がんばった自分へのご褒美だったからなのかもしれない。



ふと、そんなことを考えながら
今夜の味噌ラーメンの仕込みをする。



* * * * *

2014年3月18日火曜日

「 始めました。 」


冬の間から、冷やし中華が食べたくて仕方なかった。


冷やし中華もどきなら、なんとなく作れるけど、
冷やし中華は冷やし中華が出た時に食べたい。

そう思い、ただその時を待っていた。


先日、スーパーのラーメンコーナーに
一列だけ冷やし中華が並んでいるのを見つけた。


私の目は、輝いた。



それまでラーメンにしようと思っていた献立を、
急遽冷やし中華に変更し、そそくさと具材を買いそろえた。
そして、帰ってすぐに仕込みを始めた。


“まさか…まさか、こんなにも早く
  冷やし中華が食べられるなんて…”



具材はいたってシンプルで、
キュウリとハムともやしと薄焼き卵にした。

包丁を握る手から、卵を焼くフライパンから

“冷やし中華がもうすぐ食べられる!”

という胸の高鳴りが溢れ出ているようだった。



念願かなって食べた冷やし中華は、満足の味だった。
からしマヨネーズで食べたり、ラー油を垂らしたり。
一口一口味わって食べた。
終止そのよろこびは絶えなかった。

窓も開けて、春の風を感じながら食べていると、
だんだんと身体が冷え始め、爪が青紫色になっていた。



春の冷やし中華は、是非こたつでどうぞ。



* * * * *

2014年3月5日水曜日

「 未解決の悩み 」



最近、私にとって物事を噛み砕く為には
睡眠が必要だということが分かった。


話し合いをしていても、
瞬時に結論を出すことが苦手だ。

話し合いをしていると、
だんだんと自分はどう思っているのか分からなくなる。

頭の中が一杯、もしくはカラッポになってしまい
こうなると、あとは寝るしかない。

答えを出す為に1日寝るだけでは、
足りないことも多い。
だいぶ間が空いてしまうこともある。

その悩み自体も一時は
完全に忘れてしまっている。

でも、眠りの時間を積み重ね
悩みは頭と身体の中をぐるぐると巡り
ある日突然何かがつながったように答えが出る。



私の中に、未解決の悩みは沢山あるのかもしれないけど、
大抵忘れていて突然思い出す。



* * * * *

2014年2月22日土曜日

「 夏服 」


aikoの夏服というアルバムを聞くと
19才の夏のことを思い出す

その年の私はフリーターだった
夏の間だけ、熱川のホテルで
住み込みのアルバイトをした

二ヶ月もない短い時間だったけど
体験するもの全てが新鮮で
今でも思い出すと心がどきっとする


あの時食べたもの、見たもの、聞いた歌
全部その時感じた気持ちと一緒に思い出になっている

夏服のアルバムにはボーナストラックがついていて
アルバムには歌詞もタイトルも書かれていないのだけど
調べてみたら、夏服というタイトルらしい



あの夏を境に、私は夏が好きになったのだと思う

夏になると、何かを仕出かしたくなる感情が今も沸き上がる




 思った以上に 静かに
 こんなに早く 夏が来る ( aiko 夏服より )





今は毎朝寒いけど、きっとあっという間に夏が来る

今年も夏に何かを仕出かしたいと今から思っている



* * * * *

2014年2月19日水曜日

「 オレンジの靴下 」


今日はとても寒い。

昨日干した洗濯物が、
朝まだ乾いていなかった。

洗濯物は今日も干し、
夕方に取り込んだ。

そろそろ畳もうかとした時のことだった。

左の端から、パンツやシャツやタオルを取り外していくと
一番右の端っこに、オレンジ色の靴下がぶら下がっていた。

その靴下を見て私は、はっとした。


靴下の片方が内側に丸まったまま干されていたのだ。

この洗濯物達を洗ったのも干したのも、私。
なぜ、干すタイミングで気づかなかったのだろう。

これまで、シャツの袖を同じ状態で干してしまったことは
何度もあったけど、その時はどうとも感じなかった。


なぜかこのオレンジの靴下には、自分のずぼらな性格を恥り、
申し訳ないという気持ちが湧いてきた。

一振りすればいいだけの簡単なことなのに。
どうして私はそれを怠ったのか。
よそ見でもしながら洗濯物を干したのか。


オレンジの靴下の模様は、お家とチューリップだ。
お店で見つけて可愛いなぁと思って買った、お気に入りの靴下。


あぁ。これかもしれない。


自分が大事にしているものに対して、
人は素直になれるのかもしれない。


オレンジの靴下には心から謝れる。

「ごめん、もうしない。」




靴下の丸まった部分は乾いていた。
それが余計に自分のずぼらな精神を突ついた。


* * * * *

2014年2月11日火曜日

「 こんな夢を見た 〜 茄 子 〜 」


昨日こんな夢を見た


私は友だちと三人でバスケットボールをしていた

でも、ボールがなかなか弾まなくて



「なんかこのボール弾まなくない?」

「そうだね」

「たしかに」

「だって、これ茄子だもん」

 ハハハハハー

ボールのように突いていたのは、
バスケットボールサイズの茄子で
皮は模様のように交互に剥かれていた



私は自分の笑い声で目が覚めた




いや 茄子にしちゃ、弾んでんだろ


* * * * *

2014年2月10日月曜日

「 忘れないようにしよう 」



麦茶がなくなったので、
夜、やかんで麦茶を沸かした。

前に、そのやかんの麦茶を
昨日の残り湯だと思って捨ててしまったことがあった。

それを思い出したので、
「忘れないようにしないと」と一瞬思った。

でも私は「○○しないと」と思うと大抵出来ない。
「気をつけよう」もだめ。「直そう」とかもだめ。


なぜ、そう思うと出来ないのか、自分でも理解できないけど、
これまで生きてきた中で、とにかく「○○しないと」
と思うことは自分に通用しないと分かった。

仕事とか、本当に二度とやったら危ないことは、
物理的に覚えておくよう努力するけど。


でも今回は麦茶だったので、
「捨ててもまた作ればいっか」と思って寝た。



今朝お湯を沸かすとき、
やかんに麦茶が入っているのを思い出した。




なぜ、覚えていられたのだろう。。。




わたしは「気をつけよう」とすると、
気持ちが強ばって思い通りに行かないのかも知れない。

そして「忘れてもいっか」と思うと、
気持ちに余裕が出来てその分覚えていられるのかも知れない。



記憶でなく、気持ちをコントロールすれば
人生ももっと上手く行くような気がしてきた。

まだ研究途中なので、
今後そういう場面に出会ったら試して行こう。




Come on! Must not forget!

* * * * *

2014年2月7日金曜日

「 時々、この諺を思い出す 」




ふと、自分の昨日を振り返ると、
食べ物のことばかり考えている。

ブログに書く為のネタを考えているのだと思うけど、
過去の思い出も、少し先の未来も食べ物ばかりでつながっている。


初めて一人暮らしした時に思った。

自分の食事は自分で用意しない限り、誰も用意してくれない。
実家暮らしの時は、当たり前のように食べ物がいつもあった。

朝は何を食べよう、昼は何食べよう、夜は何食べよう、明日は何食べよう
「私は食う為に働き、食う為に生きている」そう思った。


私は、「働かざるもの食うべからず」という諺を、
普段から忘れないように生きようと思っている。


その諺を思い出しては、昔々の人を想像する。

それは、原始時代くらいにさかのぼる。


狩りをして、木の実を取って、食べられる食物を探して
水を汲んで、木の枝を集めて、火をおこす


これはお給料が出る事ではない。
でも生きる為の仕事。
食う為の仕事。

これが生きる事の基本だと思う。



私は根が怠け者なので、
時々こうして昔の人にお尻をたたいてもらう。


「働かざるもの食うべからず」

 原始人はこう言うでしょ、「当たり前だ」って。




 * * * * *

「 何食べたい? 」「 美味しいもの 」


「何食べたい?」と聞いて、
「美味しいもの」と答える人がいますが、

美味しいものは世の中にたくさんあります。

でも、コレ食べたーい!!! って時に食べる
コレに勝る美味しいものはないと私は思います。

先日、突然トマトソースのスパゲティに
とろけたモッツァレラチーズを入れて食べたくなりました。
その後すぐ作って食べたスパゲティは、普段の「今夜はスパゲティにしよう」
というスパゲティには比にならないくらい美味しかったです。




しかしこの、コレ食べたーい!!!って気持ちには
賞味期限のようなものがあって、
それを過ぎるとベストな状態で美味しく頂くことができません。



ちなみに今私の中で賞味期限が切れている食べ物はミョウガです。

昨年の夏は、食べたくて食べたくて仕方なくて、
自分で育てるようになったくらいでした。
でも今は、スーパーで見かけてもピクリとも心が動きません。




また、
現在ひそかにコレ食べたい!!! と
足音を立てている食べ物があります。

それは、ラッキョです。

軽く塩漬けにされたラッキョです。
母が漬けたものが理想的です。

これを刻んでお醤油と味の素をパラッとかけて白いご飯で食べる。

あまり、リアルに想像しすぎると、
食べたい気持ちが押さえきれなくなるので控えめに想像しています。

旬で食べるのが一番美味しいのでそれまで我慢です。


でも時々発作のように、食べたくなってしまいます。
そんな時は、ラッキョに思いを寄せて、心の中でこう言います。



 「 待ってるからね 」

 「 早く、食べたいよ 」



という訳で、

「何食べたい?」って聞いた時に、
「美味しいもの」という漠然とした返事をしている人は
ある程度の美味しいものしかその時は味わえないということです。

そして、「美味しいもの」は人それぞれ違います。

「美味しいもの」=「特定の食べたいものがありません」ということだと思って、
自分の食べたいものを美味しさをそそるように提案することが、
その人を「美味しいもの」へ誘導できる良い方法なのではないかと思うのです。


へー


* * * * *

2014年2月5日水曜日

「 夏 」

今日のようにとても寒い日は、
すこぶる夏が恋しくなる。

夏になったらしたい事は、
自家製のごまダレにシソをたっくさん入れて
氷入りのそうめんで食べたい。

ザザザ ザザザ っと音を立てて


う〜〜ん、待ち遠しっい〜


* * * * *

2014年1月31日金曜日

「 おもいだしおこり 」


私の知人に思い出し怒りをする人がいる。
「思い出したらまた腹立ってきた」
その人は、何度も思い出しては腹を立てているみたい。



私は思い出し笑いは好きだけど、思い出し怒りはしない。
何とかしてその感情の消化方法を考える。
でも、大体溜めずにその瞬間で爆発させてしまっているのだと思う。


知人は感情を出さないタイプだ、
その思い出し怒りもその時ぐっとこらえたに違いない。


出来れば毎日怒らずに穏やかに過ごしたい。
それでも、色んな人がいて
色んな事があるのだから仕方ない。






家の近くの散歩コースには、
たくさん犬のフンが放置されている。

飼い主は、土の上だからいいだろうとでも思っているのか。

近ごろそのフンの周りを、枝で出来た柵が囲んでいる。

うんこを持って帰れ!という主張にも見えるし、
うんこ注意!と踏まないように誰かが気遣ってくれたようにも見える。

私はそれを、うんこ様が祭られているみたいだ。
とおもしろ半分で人ごとのように見ていた。


しかしある日、
自分が住んでいる家の敷地内に、大きなうんこをされたのだ。
あまりにも大きかったので、はじめは笑ってしまった。
でも、じわじわと怒りが沸き上がってきた。
犬に罪はなく、無神経な飼い主に腹が立った。

この怒りはどうしたら押さえられるのだろうと思った。
飼い主はまたやるに違いない。でも、その都度怒るのもいやだ。
張り紙をするのも嫌、取っ捕まえるのもなんか違う。
たとえ間接的な関わりだったとしても、
そんな飼い主と関わりを持ちたくない。


解決策は見つからなかったので、
わたしは、とりあえずうんこに土をかけた。

怒りの感情がひとまず収まるよう、見えなくした。


うんこをされても、嫌な気持ちにならない方法はないか?
または、飼い主が全く気がつかない方法で、
うんこが出来なくなる方法はないか?


道に放置されたうんこを見つけては考えている。



* * * * *

2014年1月28日火曜日

「 銀 杏 」



銀杏を、美味しいと思うようになったのはいつだろう。


子供の頃、
祖父の法事で出された茶碗蒸しに銀杏が入っていた。
わたしは「ンニャ ンニャ ンニャ」となるべく舌にあてないように噛んで
鼻を膨らませながら飲みこんだのを覚えている。

でも、その隣で同い年の従姉妹は銀杏好きと言って
美味しそうに食べていた。
それは、とても熱い日だった。


今は、銀杏の入っていない茶碗蒸しに出くわすと
心からがっかりしてしまう。
それくらい銀杏が好きになった。


でも一体いつ、何をきっかけに銀杏が好きになったのだろう。


あの苦みとプラスチックのような歯ごたえ
それが嫌いだったのに、今では真逆の感情を抱く。



揚げ銀杏、焼き銀杏、銀杏串など
メニューに銀杏と書かれていたらとりあえず頼む。


好きな食べ物の思い出より、
嫌いだったのに何かのきっかけで
好きになった食べ物の方が心に残るのかも知れない。


わたしは、人が一生懸命作ってくれたものは何でも美味しく感じる。
または、一緒に食べていた人達が自分の好きな人たちで
楽しく食べていればどんなものも美味しく感じる。


それで思う、美味しさを決めるのは
その食べ物ではなくて、そこで一緒にいた人達なんじゃないかって。


銀杏が好きになったのは、
きっと会社勤めを始めた頃ではないかと思う。


働く厳しさを知り、そして暖かい同僚に囲まれて
苦い銀杏を美味しく感じたのではないかと思う。

* * * * *

2014年1月24日金曜日

「 夜 食 」


昨日、久しぶりに姉から電話がかかってきたので
それで思い出して夕飯に夜食を作った

夜食とは、
中学生くらいの頃に姉とお腹が空いた時に
作っていたエノキと卵のスープのことである

作り方は、沸騰させたお湯に、
エノキを入れて、コンソメを入れて塩こしょうして
溶き卵を入れるだけの簡単スープ

テスト勉強をしているわけでもなく、
夜更かししているわけでもなかったけど
小腹が空いたら夜食を作っていた


夜食を作っていると、
きまって風呂上がりの母が

「何作ってるの?」と聞いてくる

私と姉は、「やしょく〜」と言う



私が高校生になる頃には、
二人の姉も、兄も生活の時間がバラバラで
一緒に過ごすことがほとんどなくなった


その寂しさには後から気づいたものだけど
今こうして残っているのは、楽しい思い出ばかり



* * * * *

2014年1月22日水曜日

「 美味しく出来たマーボー豆腐の作り方 」


辛いマーボー豆腐が食べたくて
これまで何度も挑戦してきたのだけど
なかなか上手く作れなかった

でも昨日遂に、理想の味に近づけた気がした


料理はいつも適当に作っていて
美味しくできたね、やったー! って時と
前はもっと美味しかったのにな!ちっ という時がある


私はレシピというよりも大抵その日の気分で作るので
メンタルのコンディションが悪いと失敗する
失敗する原因は、焦って作る場合と
味のイメージが出来ないということが多い


この、味のイメージというのを
料理の最中から離れて考えてみると面白い

頭の中で繰り広げられる味のプラスマイナス
何の味が足りないのか、頭の中で、塩や酒
砂糖・醤油を加えて理想の味をイメージする

これは、調味料の味を舌が覚えていないと出来ない



昔、私の母は味覚が分からない時期があった
いつものようにおかずやみそ汁を並べて
母はさらっとこんな風に言った


母:「あたし、味が分かんないのよね、どう?しょっぱい?」


私:「いや、いつもと同じ」



あの時、あまりにも母は自然にそう言っていたので、
私は母の味覚障害を全く心配しなかった


母の頭の中には、調味料の味が備わっていて
経験から使う分量の感覚も分かっていたので
舌が効かなくなっても、いつもの味を作れたのだと思う



しかし、そんな母が作った料理の中で
今思い出しても最高にまずかったものがある


その名も “おいもアイス”


一体どうやって作ったのか知らないけど、
余ったアイスのコーンに、
何か加工されたサツマイモが入っていて凍っている自称アイス
なぜこの時は、出来上がりの味をイメージ出来なかったのだろう


母:「どお?食べてみて」

私:「・・・・・すっごいまずい」

母:「えー、美味しいでしょー いいわよあたしが食べるから」


こうしておいもアイスは、
長いこと冷凍庫の中でラップに包まれ
眠ることとなりました チャンチャン






ということで、
今回辛いマーボー豆腐が美味しく出来たので
忘れないように紙に書いておくことにしました
まだまだ、調味料の分量が分かんないから にー



* * * * * * *

2014年1月20日月曜日

「 炎上 」


○○が炎上した

という言葉を日常茶飯事のように聞く

芸能人の誰々さんのブログがまた炎上した
誰々のツイッターが炎上した

このお祭り騒ぎを見る度に
めんどくさい世の中だなぁーって思う


コメントや書き込みを読んでいて思うことは
本名を公開しないで物を言う人達は
とても下品なことを言うなぁと思う

でもその下品なコメントは、
自分の中にもある感情でもあって
全く否定は出来ない
ただ、それを本人が嫌がるように
見えるように書いてしまうところが下品だなと思う

本当のことかもしれないけど、
そこまで人って本当のこと言われたくないし
他人も見たくないんじゃないかと思う


私はネットの世界の人間関係を上手にやってく自信がない
ネットやメールで話した言葉の中で
失敗したなー、送らなきゃ良かったな
と思うことがたくさんある
顔を見ながら、会話してるときは
何かを感じたら素直にごめんって言えるけど
ネットの中だと、そこまで仲良かったかな?
実は相手は気にしてないかもな?
なんて自分の都合のいいようにうやむやにしてしまう


昔から知っている友人なら、
どんな顔をしているか想像できるけど
時間が経てば人も変わるしちょっとの付き合いでは
知らない顔もたくさんある



なんだか上手く出来ないから

SNSの幕を閉じようと思ったのであります
ツイッターしかやってなかったけど

これにて、一件落着

* * * * *

「 湯たんぽ 」


最近足が冷えるので、
夜寝る時の湯たんぽが欠かせなくなった


湯たんぽはあったかい


布団の中でまず足を温めて
足が温まったらお腹の横に持ってくる
そうすると、朝までお腹があったかい


冬に実家へ帰ると
母が布団に湯たんぽを入れてくれる

その湯たんぽは、バファリンと同じで
半分はやさしさで出来ている気がする

足もお腹も温まるけど、心の中まであったかい



私もいつか、
やさしさの入った湯たんぽを
入れられるような人になりたいと思う



* * * * *

2014年1月15日水曜日

「 居場所 」




登りたいな 登りたいな
と思いを馳せていると
「おいで」と呼ばれる瞬間がある



土地

なぜなのか分からないけど
無性に行きたくなって
行ってみてやっと気が済むことがあった






この家が私を待っている
そう感じる瞬間があって
土地はピンとは来ないけど
家に呼ばれることもあるのだと思った





* * * * *

2014年1月8日水曜日

「 私のところにもやってきた 」




  最近よく聞くアイツの名前

  自分のところに来るわけない

  そう人ごとのように考えていた




  それは、2日前の明け方だった

  お腹が痛くて眠れない

  まさかまさかとは思ったけど

  嘔吐しはじめてアイツに気づく



  アイツは土足でずかずか上がり

  あっという間にお腹の中を占領する



  なぜ、昨日カレーを食べてしまったのか

  強烈な匂いと後悔が口の中に広がる




  胃が空っぽになると

  今度は悪寒に襲われた



  背中と足の付け根が痛い

  痛さで起き上がるけど

  だるくて起きても続かない





  みんなが言う

  アイツにかかったやつは

  脱水症状に気をつけろ!!



  だるい身体を起こし

  ポカリスエットを少しづつ飲む

  本当に本当にチビチビと



  プレーンヨーグルト少しだけ

  ちょとずつちょっとずつ食べた



  徐々に回復していることに安心すると

  また腹痛に襲われる



  カレーに比べたら、なんてさわやかな嘔吐なんだ

  少し気持ちがいいと思っていた



  アイツに胃と腸を占領されて

  2日間は辛い思いをするけど

  3日目にはだいぶ回復した




  


  昨日は7日で無病息災を願い七草がゆを食べる日


  アイツがこの時期流行っている理由は
             一病息災を教える為なのか…





  痛い目に会って、初めてその有り難さや大切さを知る


  アイツは新年早々健康の素晴らしさを教えてくれた




  馬鹿にしないて、手洗いうがい

  隙をみせないで、ノロウィルスに






  しかしあれだな、
  当分カレーは食べたくないね。



* * * * *

2014年1月2日木曜日

「 毛玉取り屋さん 」

毛玉取り器を買ってから
毛玉に対する気持ちが変わった


毛玉取り器を持っていなかった時は
毛玉が悪で仕方なかった

大切な服が、毛玉のせいで着れなくなって
がっかりしては「このクソ毛玉!」と思っていた



でも今は毛玉取りの時間が
楽しみであり小さな幸せの時間でもある



どちらかというと、服に対してではなく
毛玉を愛おしく思ってしまっている





袖に出来た毛玉 よく集まったね

裾に出来た毛玉 あら、こんなとこにも居たのね

首周まわりに出来た毛玉 くすぐったいよ




毛玉があればある程、取り除いた時の達成感が上がる

人の毛玉にまで目がいってしまい、取ってあげたくなる

もはや、毛玉に取り憑かれてしまったのかもしれない




商売をはじめようかと考えた

靴磨き屋さんの隣で、毛玉取り屋さん


通勤前のサラリーマン、お姉さん、学生さん
袖の下の毛玉とりますよっ 
3分200円です、いかがですか?



世の中にあるどんな仕事も自分にはピンとこないけど

この職業は私に向いていると思った



* * * * *

2014年1月1日水曜日