2015年12月16日水曜日

「 くもりマークの日 」


最近まいにち頭がフワフワしている

目の前の景色が、見えているようで見えていない

頭の中の思考回路の途中にくもがもくもく邪魔をしている



先日、車を運転しているとき、赤信号を無視してしまった

自分でもなぜ無視してしまったのか分からなかった

幸い事故には至らず、ご先祖様に本気で感謝した

この日も頭がフワフワしていた



それからフワフワする日には手帳にくもりマークを付けることにした

フワフワしなかった日は晴れマークを付けている

いまの所くもりばかりが並んでいる



でも、このフワフワは何かに似ている

そう、お酒を2杯飲んだ時に似ている


最近お酒はアルコール4%のチューハイを

多くても2本しか飲まない


昔はもっとフワフワしていたじゃないか

そう思ったら、昼間のフワフワなんて

どおってことないなと思えてきた



でも身体に何かが足りていない

きっとあれじゃないかなと思うから



明日スーパーに買いに行こう

一日分の鉄分が取れるという飲み物を




* * * * *

2015年12月10日木曜日

「 習 慣 」


はなり山のHPを今日解約した。

この一年、HPを更新することができなかった。

習慣というものは、一度その習慣から離れてしまうと
もう習慣とは言えなくなってしまう。



しかし、習慣はいつでも始められるもの。

今私が習慣にしていること、それは「1日1時間大掃除」。

まとまった時間は取れなくても、一時間なら出来る。

これを12月1日から始めた。

わたしは「毎日少しづつ」が好きなようだ。

多分、集中力がないからこうなんだと思う。

高校受験の際、あ〜集中した〜と時計を見たら
10分しか経っていなかった。




自分に合う習慣というものがあるんだと思う。


「1日1時間大掃除」が終わったら、来年になる。

そしたら、はじめようと思う。

「1日10分はなり山」を。

続けられそうな、はなり山を

大掃除しながら探そう。




* * * * *

2015年11月30日月曜日

「 リセマラ 」


最近、リセマラという言葉を覚えた。
リセットマラソンの略で、
ゲームでいいスタートをきるために
なんどもやり直しすることをそう言うらしい。






自分の人生をどこからでもリセマラ出来るとしたら、どこに戻ろうか?






やり直したい所なんていっぱいあるのに
どれも必要な時間で、どこにも戻りたくないことに気がついた。


* * * * *

2015年11月19日木曜日

「 赤 」



最近、赤い服が着たい

といっても、
赤いカーディガンしか持っていないんだけど



中学生の時に履いていた赤い靴
高校生の時に履いていた赤のパンタロン
社会人になって古着屋で買った赤いコート




小学生の時、赤いTシャツを着ていたら
父が似合うねと褒めてくれた
それを今でも引きずるように信じている



近頃自分に自信がない
だからか、赤が着たくなる


昨日まで、感情がどこかへ行っていた
心ここに在らずのような、落ち込んでいる時のような
自分が今何を感じているのかが分からなくなる時間

でも、感動しない心期間があることに気付いてから
このことに悩むことはなくなった
いつも通りに過ごしていればいつもと何も変わらない




どんな赤い服を着ようかと考えていたら
本調子が戻ってきていた



血は心臓 心臓は心

心は赤い 赤いは血



昔一番絵を描いていた時期に
これは大発見だ!と思って
手帳に書き留めた




心は本当に赤いんだろうか



ラジオから聞こえて来たピアノの音が心にしみ込む

ただいまー 心が帰ってきたよー おかえりー





きっと血と心はつながっている

女の子なら分かるはず




* * * * *

2015年11月8日日曜日

「 今朝のできごと 」



朝、バナナに顔があった



そのバナナを食べて

今日が始まり



この顔を思い出して

今日が終わった


























* * * * *

2015年11月5日木曜日

「 切り方 」



「B型の人って、切り方にこだわらない?」

高校の頃だったと思う。
友達の家で料理をしていた時にふと言われた。

私はB型なのだけど、
その言葉にちっともピンと来ないでいたのを覚えている。


ところが最近気がついた。

料理の切り方に対するこだわりが加速している。

味付けは一緒なのに、無性に切り方に執着してしまう。



今回はそれがきんぴらごぼうだった。

ごぼうがあまっているから、
明日はきんぴらごぼうにしようと昨日から考えていた。
そして突然ハッとひらめいた。


“「ごぼうも人参も、細切りにしたらうまいんじゃね?」”



ごぼうの細切りは根気のいる作業で、途中めげそうになった。
でも切り終わった後に、
何とも言えない、誰かに言う程でもない
自分だけの達成感があった。



そして、細切りの美しいきんぴらごぼうが出来た。


楽しみにして、それを夕飯で食べた。


味が、いつもと同じだった。






ごぼうを切っているとき、
何度もこのセリフがリピートして訊ねてくる。




「B型の人って、切り方にこだわらない?」

今、まさにそうだよ。

「B型の人って、切り方にこだわらない?」

こだわってるよ。

「B型の人って、切り方にこだわらない?」


そして、このセリフの続きを思い出した。

「もっと肝心なところをこだわればいいのに、味とか。」






はい、肝に命じたいと思います。




* * * * *

2015年10月28日水曜日

「 落ち着く 」


時々こころがざわざわすることがあるけど
そんな時でも落ち着くひとときがある



朝、少し熱い白湯を飲み
はぁ〜 と息をもらす時


夏に咲いた朝顔の種を摘み
小さな器に、溜まっていくそれを眺めている時




実家の玄関に
もう意識することもないくらい
あたり前のように置いてある母の作品がある

それは大きな木の板なのだけど
板一面にぎっしりこう書かれている




ののの
ののののの
のののののののの
のののののののののののの
ののののののののののののののののの



ほっ



これは思い出しても
落ち着かないけど

これを、いいでしょ?と
得意げに笑った母の顔を思い出すと
くだらなくってほっとする


* * * * *

2015年10月7日水曜日

「 昔はできたのに、今はできなくなった 」



神様はいいました


あなたの今しか出来ない事は、
これとこれとこれとこれですよ


それなら今のうちにこれをやっておかなくては!



そんなことを言ってくれるはずもなくて
それが通り過ぎた後のだいぶ経った頃、それに気付く



でも、ふとしたきっかけでそれに気付くことがある




神様はいいました

あなたの今しか出来ない事は、
今、あなたの目の前にありますよ





昔できたものは、昔のもの
今しかできないものは、きっと別にある



そう思うと、前向きになれる

さぁ、その別のものを探そう

* * * * * *

2015年9月8日火曜日

「 梅 干 」


夏に入る前から
冷蔵庫には常に梅干しを常備していた

その時期になると
無性に梅干しが食べたくなる


冷蔵庫の梅干しがなくなったので
スーパーへ梅干しを買いにいった

夏に食べていた味に飽きていたので
別の梅干しを買った


その梅干しを一粒食べると
「そう、この味が今食べたかった」
と、イメージしていた味とドンピシャだった


この梅干し
フタを空けると
梅のよもや話というのが書かれていて
そこにはこう綴られていた


 朝、梅干しを食べると
 その日の災いを逃れるという説があります。
 戦国武将が戦場に薬代わりにもっていったことや、
 旅人の常備薬となっていたところから
 昔から無病息災のお守りのように扱われてきたのかもしれません。

 と。


弱っているとき
こういう話が
心にぐんと効く



* * * * *

2015年9月6日日曜日

「 ふうじゃ 」


先月風邪をひいて、今また風邪をひいてしまった

これまで風邪をひくことはあまりなく
私は風邪をひかないという自信がどこかにあったのだけれど

今は、風邪に負けないと言える自信がない



風 邪


“ かぜ ”と読むと、身近な病気に感じるけど

“ ふうじゃ ”と読むと、悪いものに身体を乗っ取られているかのような気になる


そして今の私の風邪は、

どちらかというと“ ふうじゃ ”寄りなんじゃないかと思う





風邪は風門というところから入って来るらしい

風門とは背中にあって風邪が入ってくる入口らしい

風邪をひくときにぞぞぞっとするあの辺りだって




先月風邪をひいてから

わたしの風門は開けっ放しのような気がする



門が風で吹き飛ばされた

門をふさぐにはカイロがいいらしい

そこにカイロを貼るのが効果的らしい





と、いうわけで

カイロを買いに行ってきます。




踊る大風邪戦

レインボー風門を封鎖せよ!!




* * * * *

2015年8月27日木曜日

「 薄れていく 」



思い出がどんどん遠くなる

あの時それしか頭になかったものが

それすらなんだったのかも思い出せない

見えるか見えないかくらいまで遠くなって

いいこともいやなことも薄れていく


小学生のころ

遊んだ帰り道に嗅いだ風

今でもあの時の気持ちを思い出す

今年も夏が終わったんだな


いつのまにか

自分を動かしていた情熱まで

薄れていた

暑い夏と一緒に

思い出になって

薄れていく


* * * * * *

2015年8月13日木曜日

「 父がぼけた 」


父は今月で72歳になった

糖尿を患っているけど
母の厳しい管理のおかげで
現在も元気に毎日を過ごしている


先日久しぶりに実家に帰り父と話をしていた

あれ? と感じたことは

同じ質問を何度もしていたことと
そして、前回わたしが家に帰ったことを
全く覚えていなかったこと



父がいないところで母に聞いてみた

「お父さんぼけた?」

母は、
「あれはぼけているわけじゃなくて、
 毎日孫の世話で忙しくしているから
 頭がごっちゃになっているのよ」と言う


確かに、平日は兄の二人の子供の面倒をみていて
毎日くたくたになるらしい




昼ご飯のときの
薬を飲もうとしている父と母の会話



母「今お昼よ」

父「あ、もうお昼だっけ」

間違えて朝の薬を飲みそうになっていた父



やっぱり父はぼけてきたのだと思った









年をとると、だんだん夜が眠れなくなるという
父に聞いてみた「お父さん、夜寝れる?」


父「もう、ぐっすりよ
  だって、何にも心配事がないんだもん」



現役の頃、いつも恐い顔をしていた父
何をしているときでも
仕事のことばかり考えていた

でもそれは、私たちを食べさせる為に
一生懸命お金を稼いでくれていた時の顔



でももう、父の顔はすっかり変わった
孫の世話をしている時の父の顔は
笑顔を通り越してしまうほどのいい顔をしている



だからいいかなと思った
「もう心配事がないんだもん」
そう言った父がその顔で残りの人生を過ごせるなら
それでいいんじゃないかなと思った


こうやって、親は年老いていくんだな

と身にしみながら帰路についた


* * * * *

2015年8月6日木曜日

「 どくだみ茶 」


昨日知り合いの方にどくだみをもらった



子供の頃、うちの冷蔵庫にあるお茶は
年がら年中どくだみ茶だった

ウーロン茶がある家の子が
かっこ良くてうらやましいと思っていた


今でも覚えている小学生の頃の遠足の日
ともだちと水筒の中身は何か?という話になった

うちはどくだみ茶だよ というと
飲ませて というので
美味しくないよ と飲ませると
草の味がする とひどい顔
だから言ったじゃない とわたし


このときが人生で一番
どくだみ茶を恨んだ瞬間だった




昨日もらったどくだみの葉で
さっそくお茶をつくった

沸騰したお湯にどくだみの葉を入れると
ふわっと懐かしい匂いが広がった

母がフライパンでどくだみを煎る姿が思い浮かんだ


どくだみ茶を飲みながら
どくだみの効能を携帯で調べていると

身体にいいのよ〜 

と言う母の声が聞こえてきた気がした




なんて懐かしい味なんだろう
今日が人生で一番
どくだみを美味しいと思った瞬間だった


* * * * *

2015年8月3日月曜日

「 はらぺこあおむしのうた 」


子供の頃全く本を読まなかった私は
あの有名な“はらぺこあおむし”の絵本すら
読んだ事がなかった

今年の始め、三歳になる姪っ子に会った時
姪が、はらぺこあおむしのうたを
フルバージョンで歌ってくれた


このうたは、
ストーリーに合わせてメロディーが異なり
はじめは穏やかな歌だと聞いていると
だんだんテンポが良くなって
見せ場がちゃんとあり
クライマックスで感動できる



はらぺこあおむしのストーリーを知らなかった私は
姪のアカペラで歌われるこのお話が
一体どうなっちゃっているのかが分からなかった
メロディが切り替わる度に姪の小休止が入り
まだ続くのかッ いつ終わりがくるのかッ と内心そわそわしてしまった

でも、歌う姿は可愛くて、目が離せなくて
このうたが頭から離れなかった





げっつようび げっつようび ♪

りんごをひとつ たべました〜



かよおーび かよおーび ♪

なーしをふたつ たべました〜


すっいようび すっいようび ♪

すももをみっつ たべました〜



それで〜も あおむしは

おなかが ぺっこぺこ〜 ♪






最近YouTubeでこのうたを聞いている

そしてわたしも“土曜日”まで口ずさめるようになった





来週、久方ぶりに姪に会う

またはらぺこあおむしを歌ってもらおう

楽しみだ







* * * * *

2015年7月25日土曜日

「 明るいお風呂 」


土曜の夕方

明るい時間にお風呂に入った

同じお風呂がよそのお風呂のようだった


今日も一日暑かった

暑かったというより熱かった

汗で身体はベトベトで

首にあせもができてしまった

外はジリジリ身体が焦げそうになる


それでも夏は大好きで

暑い暑いといいながら

ほんとはとても嬉しがっている



夏は洗濯物がすぐ乾く

ベトベトの身体をシャワーでシャーっ

そして風呂上がりのビールがうまい



夏は短くて

こんな時間もあっという間に過ぎてしまう

今年の夏も、夏を満喫しようと思う


明日も入ろう、明るいお風呂


* * * * *

2015年7月23日木曜日

「 クレソン 」


最近クレソンが食べたくて仕方ない

理想は宮崎駿監督作品の「風立ちぬ」で
外人さんが食べていたくらいの山盛りクレソンだ

新鮮なクレソンをムシャムシャ食べたい

スーパーに売っているクレソンは少量だし
なぜかいつもしおれている
なぜクレソンはほうれん草や小松菜のように
束で売ってくれないのだろう

栄養満点のクレソンを付け合わせだけで食べているなんて損だ!




もっと クレソンを食べよう ♩ ♩ ♩ ♩

ムッシャムッシャ 食べよう ♩♩ ♩ ♩

クレソンブームを巻き起こそう ♪

そしたら 束で買えるかもしれない ♫

みんなで ムッシャムッシャ食べよう ♩

もっと クレソンを食べよう ♩♩ ♩ ♩




という、どうでもいいクレソンの話でした。


* * * * *

2015年7月10日金曜日

「 アメイロタマネギ 」


今夜はカレーにしようと思い
まずはアメイロタマネギを作っていた



アメイロタマネギはみじん切りしたタマネギを

弱火のフライパンで20分位炒める

その間焦げないように、混ぜ続けている




フライパンの中でタマネギが徐々に色づいていく


それを見ながら、いつの間にか頭の中で

こんなことがあったらこんなことを言おう

というような、まだ需要のないセリフをぐるぐると考えていた


そして、アメイロタマネギができあがるころ

さっきまで何度もくり返していた未来のセリフは

どこかへ消えてもう忘れてしまっていた





まるで、夢でもみていたかのような

アメイロな時間だった


* * * * *

2015年7月3日金曜日

「 アンテナ 」


最近、制作意欲がめっきり無くなってしまった
それはとても不思議な現象で、Why?と感じながらも
なーなーと過ごしていた


でも不眠症くんへの情熱の火は消さないようにしている
えっ?どうやってそんなことができるの?だって?

こころの奥底にこう聞いてみると火は消えないで保つことができる



Q:「もう不眠症くんあきらめたの?」

すると強い反発のように

A:「No!!」と聞こえる


よしよし、まだいけるぞ
と思いながらも何もせずに
やっぱりなーなーと過ごしていた




ところがそんな現象を振り返ると
もう一年も制作意欲が沸いていないことに気づく
このままでは、一年後、五年後、十年後の法則(※)で

十年後も変わらずこのままなのではないか!と焦った


※一年後、五年後、十年後の法則とは
今日変わらなければ一週間後も変わらない。
一週間後も変わらなければ、一ヶ月後も変わらない。
一ヶ月後も変わらなければ、一年後も変わらない。
このように、何も変わらず、時ばかりが過ぎて行ってしまうということ。





アンテナだ、これはアンテナの老化が原因だと思った



専門学生の時、先生に言われた

「常にアンテナを張っておくように」


それは見るもの聞くものなど五感の全てから
ヒントを得られるようなアンテナを張ることを
習慣にするよう教わった





そのアンテナを常にわたしは頭の上に張り過ごしているつもりだった
ところが最近何も入ってこないし降りてこない
ビビビっとハートまで届かないのだ




私はこの老朽化したアンテナを抜いた


今私にアンテナは建っていない



週末にでも探しにいこうかな


新しいわたしのアンテナを




* * * * *

2015年6月26日金曜日

「 失敗しない茶碗蒸しの作り方 」


茶碗蒸しを
前に一度だけ作ったことがあったけど
その時は失敗してしまった
だから今度は美味しく作りたかった


茶碗蒸しのレシピをいくつかケータイで調べ
「失敗しない茶碗蒸しの作り方」
というレシピを参考に再チャレンジした


蒸し器のフタをあけた瞬間
見かけが失敗していた
それはまぁ、許容範囲

さぁ味はどうだろう
緊張しながらスプーンで一口食べる



どうしてだろう…
レシピ通りに作ったはずなのに…
ここ最近でこんなにマズいものを口にしたことはない…
というくらいマズかった…


レシピをもう一度見直してみた
材料も作り方も大体オッケーだと思った
でも、この大体と言ってしまう所が
私の失敗の素なんだと思った

料理は大体こんな感じ〜で美味しくできるから好きなんだけど
分量をしっかりと計って作らなければならないお菓子作りなどは苦手
茶碗蒸しもその部類か…



茶碗蒸しが美味しく作れるようになる為には
まずはこの性格からなおして
素直にレシピの言う通りに作れるようにならなければいけない
大体とか言わない自分に…




あぁ 美味しい茶碗蒸しが作れるようになりたい

一体その日はいつなのか

とても遠くに感じる




* * * * *

2015年6月19日金曜日

「 ビリビリのジーパンを履いて歌ってみよう 」


お皿を洗いながら歌をうたっていた
ブルーハーツの「泣かないで恋人よ」を
この歌にはいつも一行目の歌詞から励まされる




わたしはなかなか音楽に興味が沸かなかった
周りの友達は、大体高校生くらいで
好きなアーティストとかができていたけど
私は病んでいてそれどころではなかった


そんな私が二十歳の頃
ブルーハーツを知り
ガツンと一気に胸をつかまれた








時はさかのぼり、小学校低学年の時だった

「こういう穴があいたズボンどう思う?」と母が言った

「針で縫えばいいのにね」と私

テレビか新聞か雑誌かなにかを母に見せられそう聞かれた



その時目に映ったものは、
ビリビリのジーパンを履いた汚らしい男達だった

今思えばそれがブルーハーツで
そのころ彼らはよく世間を騒がせていた










私は物事の善し悪しを知るのがとても遅い

そんな自分を残念に思うことが多々ある

でも、この歌をうたうと励まされる

残念に思っている時間がもったいないと











もう一度、あの時に戻ってみよう


「こういう穴があいたズボンどう思う?」と母


「履いてみないと分かんないな」と私






遅すぎる事なんて 本当は

一つもありはしないのだ







ビリビリのジーパンがビリビリでなかったら

ブルーハーツの歌はここまで届かなかったのかもしれない




* * * * *


2015年6月9日火曜日

「 生オクラ 」



オクラが生で食べられることを知った

まさか、オクラが生で食べれるなんて

なんとかって栄養も、
生の方が有効に摂取できるんですって


生マッシュルームに続く衝撃だった


ネバネバも冷やし中華もサラダにも

今年の夏は、生のオクラで

決まりっ!



* * * * *

2015年6月5日金曜日

「 見積もりの夢 」


昨日また、見積もりを作る夢を見た。


わたしは夢の中の頭の中で、
「項目に、アレとアレとアレを入れよう」
と楽しげに考えている。



何年か前にも見積もりの夢を見た。

わたしは夢の中で、仕事に追われ忙しそうにしていた。
「どうしよう、早く見積もり作らなきゃ、どうしよう」
という夢だった。



20代の頃、見積もりが作れなくてよく泣いていた。

今振り返ると、泣くほどのものではないだろう、と思えるまで成長した。
でもあれは、見積もりが作れないことだけに泣いていたんじゃなくて、
社会でやっていく不安、自分の無知無力さ、焦りなど
色んな気持ちが言葉にできなくて、整理できなくて
見積もりのせいにして泣いた。



転職して、見積もりを作らない仕事についてからも
見積もりは自分の中でトラウマになっていた。



それが、昨夜の夢の中では、
見積もりを作るのを楽しみにしていた。

これはわたしにとって、
空を飛ぶ夢に並ぶ程の大飛躍の夢だと思った。

* * * * *

2015年6月2日火曜日

「 じぶんについて 」


わたしがこの世で一番興味があるものは、自分だ。

好奇心は全然旺盛な方ではなく、割と何ににも興味が沸かない。


でも自分に対してはいつでも興味津々だ。

特に新しい感情に出会うときには興味が集中する。


新しい感情はまず、モヤモヤとしてやってくる。

そのモヤモヤがどんな感情をしているのかじっくり時間をかけて噛み砕く。

そしてある日そのモヤモヤがやっと言葉に置き換えられると
わたしは、とても満足した気持ちになる。

そしてそれと共に、わたしの中には
まだこんな感情があったのか、と感動が沸いてくる。


自分って無限大に奥が深くて興味深い。


そしてわたしはいつも新しい自分に出会いたいと思っている。


だから、新しいことが始まる時どきどきする。


これからどんな自分に出会えるんだろうって。






* * * * *

2015年5月15日金曜日

「 金曜の夕方 」


鮭を焼いていたら
どうも鮭は網にがっつりくっついる様子

ひっくり返した時の残念な鮭の姿と
落ち込む自分を想像した



結果は想定内

しかし落ち込まなかった



心の備えあれば患なし




* * * * *

2015年5月12日火曜日

「 安いとうふ 」


ずっと安いとうふを食べていた

一丁38円

100円のとうふを食べてみたら

すごーく美味しくて

安いとうふを買うのをやめた




この美味しさがわかったのは

ずっと38円のとうふを食べていたから




美味しさを知るには

食べ比べたり食べ続けたりしてみないと

分からないこともある





100円のとうふが

美味しく感じなくなったらまた食べよう

38円のとうふ


* * * * *

2015年5月9日土曜日

「 考え事しながら探し物 」


考え事をしながら探し物をしていたら
何を探していたのか分からなくなった


母が漬けたらっきょうを
今年も食べることができた

ポパイがほうれん草を食べると強くなるように
わたしはらっきょうを食べると元気になる


散歩をしていると
あちこちでバラがきれいに咲いている
桜の木は花見をするのに
なぜバラで花見はしないのだろう
気候もばっちしだというのに


最近脳みそがスカスカだ
毎日目の前のことだけで精一杯だ

少しでもなにか自分の跡をつけたくて
手帳に一行だけ日記をつけている
その日記も気づけばスカスカ


少しだけお勉強しているフリをしている
第一章が終わりテストしてみると
20問中で13点だった


時々ぐぉ〜っとやる気が沸いてくる瞬間がある
でもそれ以外は低燃費
らっきょう食べてハイブリットになれるかな



* * * * *

2015年4月28日火曜日

「 更 新 」

先日免許の更新をした

免許を取得して10年が経っているにも関わらず
私はペーパードライバーだ


でも最近、少しずつ運転の練習をしている


10年ぶりの運転はとにかく怖い
普段使っていない脳みそを使うため
運転した後に頭が痛くなる


いつか、これに慣れる日がくるのだろうか…


警察署で免許の更新をした
受付をして支払いをしてギリギリで朝一の講習に間に合った
ギリギリだったので講習の映像を見ている間に名前を呼ばれ写真を撮った

名前を呼ばれ、椅子にすわるよう指示され、写真撮影
髪を整える鏡も隙もなかった




講習後、免許証が配布された
案の定、残念な顔写真の免許証を受け取った


次の更新は平成32年
あと5年もこれと連れ添わなくてはならない

運転が出来ないから
こんな残念な顔をしているんだ

次の更新までに、自信をつけよう
そして運転と写真写りが上手くなるよう

訓練しよう。


* * * * *

2015年4月20日月曜日

「 コーヒー 」

コーヒーの味が分かる程
たくさんは飲まないし
飲み比べもしないけど

ワインを飲むようになってから
ソムリエのように、これはどんな味だ
と舌で探りながら味わうようになった


100円でも今はコンビニで美味しいコーヒーが飲める
でも400円のコーヒーを飲むと
やっぱり100円よりこっちの方が美味しいなと思う

さらに600円のコーヒーを飲んだとき
美味しいなにプラス幸せだなと感じた



「1000円出せば美味しいワインが飲める」


ワイン好きの方にそう教えてもらった





なんかコーヒーも似てるな


たまーにでいいから
美味しいコーヒー
飲みたいな




* * * * *

2015年4月12日日曜日

「 かぐや姫 」



と〜り〜 む〜し〜 け〜も〜の〜
く〜さ〜き〜 はな〜


はるなつあきふゆ つれてこい〜
はるなつあきふゆ つれてこい〜


♪ ♪    ♪ ♪





高畑勲監督のかぐや姫を観た

この歌をずっと口ずさんでしまう



かぐや姫のお迎えがくるシーンを

目の中で何度も何度も廻らせている

ゆらぐ羽衣から目が離せない

いつまでもあの雲を見ていられる


かぐや姫が竹から現れるシーンを

山の中ではしゃぐたけのこ姫のシーンを

着物が舞うシーンを  もう一度みたい





もっと、さらっとした
アニメーションだと思っていたら違っていた



一瞬も目を離したくないと思った

めをつぶるのがもったいない

あぁ、また観たい

映画館で上映されている時に観なかったことを後悔した






♪ ♪    ♪ ♪



と〜り〜 む〜し〜 け〜も〜の〜
く〜さ〜き〜 はな〜


はるなつあきふゆ つれてこい〜
はるなつあきふゆ つれてこい〜









* * * * * *

2015年4月8日水曜日

「 姉が作ってくれたカレー 」


私が中学生の時のこと
母は長刀(なぎなた)を習っていた

ある日、母は長刀の練習中に
アキレス腱を切ってしまいそのまま入院となった


母の数日間の入院中
浪人中だった一番上の姉がごはんを作ってくれた
お菓子作りは得意な姉だったが
ごはんを作っている姿はそれまで見たことがなかった

姉はカレーを作ってくれた
妙に姉のカレーが嬉しかったのを覚えている


白い炊きたてのごはんにカレーをよそうと
カレーがご飯の中にスルスル消えていった
それはそれはサラサラのカレーだった
食べてみると味も薄い

わたしは姉にケチをつけた

たぶん、「味がうすいんだけど!」とか「サラサラじゃん!」
などと言ったのだと思う

姉はぶすっとして自分の部屋へ行ってしまった







母は私たちがごはんを作ってあげると
必ずといって「人に作ってもらうごはんは美味しいわ〜」
と言い、美味しそうに食べて喜んだ



その気持ちが今なら分かる
そしてその言葉の意味も


毎日自分でごはんを作っていると美味しさに驚きはない
食べる前から何度も味見をし、どんな味か分かっているから


母のその言葉の裏には、
作ってくれた人への感謝の気持ちも込もっていた




時間をかけてくれてありがとう

美味しく作ろうとしてくれてありがとう





あの時姉にケチをつけた私の行いは0点だ


今は、お世辞じゃなくて
100点満点のごちそうさまを言える

やっと料理に込められた気持ちも
味わうことが出来るようになったので






* * * * *


2015年4月4日土曜日

「 花 見 」

今週は何度も花見をした
桜の木の下を散歩した

お酒を飲まないで花見をすると
色んな思いが頭を巡る


高校の卒業式の日
式が終わると誰よりも早く学校から出て
自転車で遠くを目指して走った

やっと終わった
つまらなかった高校生活がやっと終わった
とても長かった
そう思いながら


私は三年間の高校生活を楽しめなかった
そのことを今でも後悔している


でもこの後悔を
いつも胸に忘れないようにしている
あんな時間はもう二度と過ごしたくないから




「お花見を予定に入れた日は、どうしていつも寒いんだろう?」



先日久しぶりに会った友達と
そんなことを話ながら散歩した


やっぱりお花見は毎年したい
だってすぐに散ってしまうから
散る前にちゃんとこの目でみておきたい




今しかできないことが毎日たくさんある

散ってしまうその前に、
たくさんのそれに気付けますように























* * * * *

2015年3月19日木曜日

「 心の乱れ 」


米を研いでいたら

研ぎ汁と一緒に
米粒を流してしまった

何度も何度も繰り返し
米粒が流れてしまい

わたし、心が乱れてるな と気づく


小さじ1杯のはずの酒が
スプーンからはみ出てしまい

平常心、平常心と自分に言い聞かせる


薄焼きたまごを作るはずが
なぜか厚焼きたまごを焼いていて


今日はもう諦めることにした




* * * * *

2015年3月13日金曜日

「 今週のまとめ 」


チンジャーロースを作ったら
塩っぱくなって落ち込んだ
ヤングコーンを入れたら丁度よくなるかも
と思って、缶のヤングコーンを開けた
そしたら、粒も形もふぞろいだった

「ブサイクなヤングコーンだな」

と心の中でつぶやいた
そしたらなんか元気が沸いてきた





皇太子さまが記者会見で朗読されたという
「子は親の鏡」という詩を
不真面目風に朗読してみた
真面目に読むより言葉がすんなり入ってきて
新しい読み方だと一人で関心していた




醤油味の焼うどんの作り方を教えてもらった
そのレシピは仕上げにお酢をかけるのだけど
それがマイルドになってとても美味しい
三日連続お昼ご飯でたべてしまった




今週もちょっとづつ精神で毎日を過ごした
たとえば読みたい本は、10ページ読む時間はないけど
1ページだったら、または1行だったら読めるので
1行読めたら自分に勝ったってことにしている

そんなちょっとづつ精神を
生活のあちらこちらに散らばして

それがひとつ出来るだけで
豊かな一日を過ごせた気分になる



チャットモンチーの「ときめき」という歌が
妙に胸でときめいている


では、また来週



* * * * *

2015年3月6日金曜日

「 春が来た 」



スーパーでウドを買い
初めて調理してみた


実家では毎年この季節になると
父が山でウドや山菜を採ってきて、それを母が調理した
ウドは酢みそ和えやきんぴらが美味しかった


ウドの皮のアクは強いので
火を通さないと食べられない
でも中の白い部分は酢水につけておけば
生でも食べられることをネットで調べて初めて知った


調理しながら中の白い部分を生で食べてみた
シャキッとしてみずみずしく
ウドの香りがギギッと広がった
ギギッとというのは、アクがまだ抜けていなかったから
でも、アクが強いくらいの方が私は好き



春の山菜を食べると
日々身体の中に溜まっている毒が
スーっと消えていく気がする
それは毒をもって毒を制するように
ウドが美味しい時期にあと三本は食べたい





春が来た

やせ我慢をして
昼間はロンT一枚で過ごしてる

だって嬉しいんだもん


* * * * *


2015年2月25日水曜日

「 もやしのひげ 」




いい女が、
もやしのひげを取っていた


わたしは、
少し痛んだ時だけひげを取る



* * * * *


2015年2月10日火曜日

「 なかなか手に入らないもの 」


もしも、すぐに手に入っていたら
こんなに有り難くも大切にも
思わなかったかも知れない

それは、限界までトイレを
ガマンして行くことに似ているのかも知れない
トイレはすぐそこにあるのに
ガマンしてしまうそれに


またそれは、連載漫画を買っても
今だー!という瞬間まで読まずに
飾って眺めている時に似ているのかも知れない






これで毛玉を取るたび

買ってよかったと思う


いつまでこの気持ちは続くのかな

思いを寄せた分だけ続くのかな


私の宝物

毛玉取り器へ






* * * * *

2015年2月6日金曜日

「 今週のまとめ 」


スジばったゴボウを食べながら
木もいざとなれば食べれるんじゃないかと思った

トイレットペーパーが上手く回らない、と思ったら
幅が他のものより広かった

お気に入りのお皿が割れた
悲しい気持ちで眠ったら、そのお皿の夢を見た

お気に入りのくつ下に
みんな穴があいてしまったので
二枚重ねにして今年の冬は乗り切ろうと思う

ふと昔、家族旅行で沼津に行った時
海から海水を持って帰り
沸かして塩をつくったことを思い出した





今週のまとめ、おわり



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2015年1月30日金曜日

「 アレ… 」



いつ雪やんだんだ


























* * * * *

「 ア レ 」

先日薬局に行った時のこと

受付からこんな会話が聞こえてきた


おばあさん:「アレがアレだったもんで…」

受付の人:「あー、そうなの じゃぁ次回で」





この日以来、アレという言葉が気になっている
人が使うアレも自分が知らぬ間に使っているアレも




アレを使う場面は今思い付くかぎりでは三通りある


一つは言葉が出なくて、アレで代用する場合
薬局で聞こえて来たアレはきっとこちらだろう


もう一つは、考えや気持ちを人に伝える時
そこまで理解出来ていないのに分かったふりをするとき
「アレだね〜…」とか「アレなんだ…」など


そしてもう一つは言葉にするとマズいことをごまかす時
「もしアレだったら、アレなんで…」


アレが気になった日からアレが気になってしょうがない
なるべく自分はアレを使わないようにしようと心がけている

こうしてアレについて書いていると
アレという言葉の便利さに改めて気がつく



そして誰かがアレを使うたび
私は心の中でフッとほくそ笑む


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2015年1月23日金曜日

「 お弁当の玉子焼き 」


毎日お弁当用の玉子焼きを焼いている
なのになかなか上手くできない
上手に巻けないわけではない
味が美味しくできないのだ


美味しい玉子焼きってどんなんだろう…

玉子焼きについて考えた





母の玉子焼きは
きっとめんつゆで味付けしていたのだろう
薄っぺらくて固くて、お弁当の中でも
「あ、いるな」程度の存在だった


居酒屋で食べる出し巻き卵は
これは大好きでどこへ行っても頼んでしまう
でもこの玉子焼きはお酒に合うもので
お弁当向きの味ではない


わたしは助六が好きだ
中に入っている甘いたまご
大体気がつくと最後までとっておいてたまごでしめる
でも、このたまごも酢飯だから合うわけで
お弁当向きの味ではない



ネットで玉子焼きの味付けを
調べてみては試して焼いてみた
美味しくはできるのだけどなんか足りない
でもそのなんかが何なのか分からなかった




美味しい玉子焼きってどんなんだろう…


今まで食べた卵焼きの中で
美味しかった玉子焼きってどれだろう…



味の記憶を辿ってみる





あれは…
中学生の頃のお弁当の時間だった
友達が「うちのお母さんの玉子焼き美味しいんだ」
と言って玉子焼きを一つくれた
それは、濃い味でも薄味でもなく
ダシでも醤油でも砂糖でもない絶妙な味がした
中が少しだけとろっとしていて
かるいのいずっしりとした味わいだった







そうだ…
あの味を思い出して作ってみよう


数日前からあのお友達のお母さんの玉子焼きを思い出しては作ってみている
一度しか食べた事のない味
この舌の記憶が本当なのかも定かではない
一体どんな味付けだったのだろう
なかなかあの味には辿り着けないでいる





そうだ……

メールしてみよう





あの美味しい玉子焼きを目指して、旅してます。


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2015年1月16日金曜日

「 テ ラ 」



昨日初めてギガファイル便というのを使った
ギガ程の大きいデータを送ろうとすると昔は有料だったのに!
今は無料で、しかもアップロードもはやい!!

先日ハードディスクを買いにいったら
5年前に買った80GBのハードと
さほど変わらない金額で3TBのハードが買えた
テ、ッテラ!!!


なぜか海の上のピアニストという映画のことを思い出した
限られた鍵盤の中で無限大を生み出すのか
それとも無限大の中で新しい曲を生むのか



ギガでもテラでも、ペタになったとしても
何でもかんでも放り込むのではなく
自分にとっての丁度いいを分かっていて
必要なだけを使っていたいな

映画とは関係ないかもしれないけど
なにか共通するものを感じたのでありました




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2015年1月7日水曜日

「 お年玉の思い出 」


先日姉に会った時、お年玉の話になった
「うちのお年玉って、一歳につき100円だったよね〜」と姉


そうだ、すっかり忘れていた
うちのお年玉は、小学一年生で600円
中学一年生で1,300円、高校一年で1,600円だった


一年間で100円だけあがる


小学校に入るまでは良かったけど、お小遣いもない家だったので
その少ないお年玉で1年をやりくりするのがきつかった


高校に入って、すぐにアルバイトを始めた
自分でお金を稼げることが何より嬉しかった


アルバイトをするようになってから
私は親にお年玉をあげるようになった
うちの両親はお年玉をあげるととても喜んだ

いつの間にかお年玉をもらうより
あげる方の喜びが大きくなった




子供の頃は、お年玉がたくさん欲しかった
お友達とジュースを買ってお菓子を買って
好きなおもちゃも買いたかった
あの時少ないと思ったお年玉



でも今なら、一歳につき100円の
このお金の重さを感じることができる
それを理解したら、
急に、あの頃のお年玉が有り難いものに思えた

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